黒船がやって来た!開国の舞台・下田の町並み散歩

静岡県
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歴史散歩 ~町並みを見る~

幕末と開国の匂いが染み付いた静岡県下田市。路地を歩くと、そこかしこに歴史を感じさせるものが残っていた。

日米下田条約が締結された了仙寺。下田条約とは、内容がアバウトだった日米和親条約をもう少し詰めた付帯協定のこと。これにより、アメリカ人が下田の街を歩いてよいことになり、日本人史上初の異文化交流が行われた。

下田条約を結ぶために、上陸したペリー艦隊一行が闊歩した道はペリーロードと呼ばれている。
柳並木と石畳の美しい小路が川沿いに約700m続いており、下田観光のベスト3には入る超有名スポット。

実はこのペリーロード、元花街で戦後は赤線だったという非常にそそられる歴史を持っているのだ。白状すると、歴史散歩よりはるかに楽しみにしてたのがここです(笑)

この建物、風待工房というカフェ兼アンティークショップなんだけど、営業している雰囲気はなく。

裏側から眺める。

ネット上には「遊郭だった建物」と散見されるんだけど、玄関には料理店の鑑札。なんとなく妓楼ではなかったような気がするんだよなぁ。

下田は元々風待ち港として栄えた場所で、港から近いところに女性街があるのもそりゃそうですよね、という土地柄。往時はさぞ商人たちで賑わったことでしょう。

おなじみ、昭和30年の『全国女性街ガイド』にもここの記述があり、以下のように紹介されている。

唐人お吉を生んだだけあり、芸者の気っ風は辰巳芸者級、田舎にしてはしゃんとしている。(中略)
赤線は、工口寺で名を売った了仙寺の門前の弥治川町にあり、女は八十名。町中に散在しているのを入れると二百名の夜の女たちの街である。ストリップ芸者も二組いる。

工口寺て…

どうやら、熱海の糸川べりと間違えてるんじゃないのとツッコみたくなるようなピンクゾーンだったようですな。いやはや、存じ上げませんでした。

隣もまた艶っぽい建物。

今はもう当時の名残は皆無。文字通りクリーンで美しい町並みなので、邪念は捨てて純粋に散策を楽しみましょう。

いやぁ、本当に美しい町並みだ。ガス灯と石畳の組み合わせが素敵すぎて泣きたい。

こちらはなまこ壁の古民家。BARと書いてあるのでBARなんでしょう。見えないけど。

うーん…ちょっと写真の枚数が多くなってきたので一旦ページを区切ります。

(3ページ目へ続く)

コメント

  1. maru より:

    素敵な町ですね。
    いつか、と思いながら、そのうちに。 

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