坂と石畳の宿場町 木曽路『馬籠宿』は絵になるまち

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中山道43番目、そして木曽路11宿の最南端に位置するのが「馬籠宿」。
難所・馬籠峠を挟んで隣り合う妻籠宿と並んで、中山道の人気スポットのひとつである。

地理的に近いのと名前が似てるせいで両者を混同している人は結構多いと思う。

妻籠~馬籠は旧街道の面影が色濃く残っている。ハイキングコースとしても人気で、手荷物運搬サービスなんかもある。この風情・・正直、足がなければ歩きたかった。

まったく労することなく馬籠峠到着。朝早かったからか、峠の茶屋は閉まっていた。

馬籠峠は標高801m。妻籠宿が430mなので結構上る。この峠が長野と岐阜の県境になる。

ここから2kmほど下ると馬籠宿。ちなみに妻籠~馬籠は、手元のパンフレットによれば徒歩だと130分かかるそうである。なかなかいい運動になりそう。

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馬籠宿に到着

馬籠宿に到着。これにて木曽路を走破。ここから先は美濃路となる。

馬籠は、木曽路と言いながら住所は岐阜県中津川市。元々は長野県山口村だったのが、平成の大合併で県をまたいだ合併が行われ、岐阜に編入されたという歴史がある。

高札場の上には展望広場がある。雄大な恵那山と眼下の馬籠宿が一望できる絶景スポット。

右手奥のは案内板には、島崎藤村の『夜明け前』の一節が書いてある。(情景描写で恵那山が登場するシーンがある)

馬籠宿は標高600m。偶然にも、長さも600m。

坂の途中につくられた宿場町で、京都側は特に勾配がキツイ。ただ、坂道のおかげで遠くの山並みや中津川の市街地まで見渡すことができ、とにかく風光絶佳な所なのだ。

百聞は一見、ということで早速歩いて行ってみましょう。

基本スペックは「石畳と坂の宿場町」。聞くだけでそのポテンシャルの高さがうかがい知れる。

馬籠宿は、江戸時代からたびたび火災が発生しており、特に明治と大正に起きた直近二回のそれはそれぞれ70棟以上が焼失している。

そんなわけで、一見古そうに見える町並みも実は復元されたもので、妻籠みたいに江戸時代の建物が残っているということは残念ながらない。

そうは言ってもこの通り、風情は満天。電柱も撤去されており、かなりすっきりした町並みになっている。

馬籠脇本陣史料館。大名が宿泊した際に使用された諸道具や文献類が展示されている。

妻籠に比べ、食事処やお土産屋が多い。復元されたから、というのもあると思うけどやや俗化されている印象を受けた。

“観光客”にはこっちのほうがウケそう。

宿場のほぼ中央に本陣跡、藤村記念館がある。ここにあったのが馬籠宿の本陣、紛うことなき島崎藤村の生家である。

筆者は文ヲタ(文学オタク)ではないので、ここは素通りすることにした。

藤村記念館の前に観光案内所がある。馬籠宿はここを含めFree Wi-Fiスポットが何ヶ所かあって、その近代的さ加減に感心してしまった。外国人観光客は嬉しいだろうね。

『木曽路はすべて山の中である』

藤村の言葉通り、前日はひたすら山の中にいる感じだった。こうして視界が開けると晴れ晴れしてなんかテンションも上がってくる。

(2ページ目へ続く)

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