浜大津駅からほど近い、大津市長等に残る柴屋町遊郭跡。絶賛体調不良の昼下がり、気合いと根性で乗り切った(乗り切れてないけど)まち歩き後編。
またしても細い路地が通りに向けて口を開けていた。両サイドにそびえ立つ木造建築の存在で、ここがただならぬ路地であることはすぐに理解できた。
無造作に置かれたビニールプールからは、あまりにも場違いな空気感が漂っている。
風情満天の路地
かなり大柄な建物のオンパレード。おそらく妓楼だったのだろう。ただ全部が全部とは言えないような物的証拠も残されていた。
ふたつほど、料理店の鑑札を見かけた。
純粋な花街ではなかったことを考えると、もしかしたら貸座敷に芸妓と料理を手配するような遊び方がここではあったのかもしれない。
この絶妙な鉤型の路地の風情がたまらない。これを見るだけでもはるばる大津まで来る価値があると思える雰囲気である。
地図を見てみたら、この細い路地の形はカタカナの「ヨ」の字のそれと同じであることがわかった。
遊里の典型と言えば「コ」で、「ヨ」はなかなか珍しい気がする。
もう少し散策を続ける。というのも、一応ここに来た目的でもある、目当ての建物にまだ出会えていないのだ。
そのうちのひとつがこれ。丸窓を持つ、実にわかりやすい遺構。すっかり年老いてはいるものの、放たれるオーラからは慣熟とも言える貫禄が漂う。
いや、“完熟”の間違いか。
そして、その隣でひときわ異彩を放つ建物が本日の目的物である。くたびれ具合が半端じゃなかったのでなくなっていることも少しは覚悟していたが、まだご存命だったことに安堵。
※こちらの建物、2020年頃に売物件となって一時期ネット界隈がお祭り騒ぎとなっておりましたが、残念ながら2022年夏に取り壊されました
側面を見ると、壁の木材が見るも無残な姿をさらしていた。下には、どう見てもドブ川にしか見えない水路が流れている。
かつてはこの流れが廓と外界とを分かつ結界の役割を果たしていたのかもしれない。
ディテールに目を凝らせば、それこそ目も当てられないような惨状を次々と目の当たりにすることに。
ちなみに、上記遺構たちの間の細い路地が、前頁で紹介したカフェー調の空洞につながっているという素敵仕様。ネタバレしちゃったんで楽しさもワクワク感も半減ですね。
いよいよ体調面で限界が近づいてきたので大津散策はここまで。戻る途中で琺瑯看板を見かけたのでパシャリ。
7回に渡って書いてきた滋賀編は今回で終了。
次回は久々に古都を訪問します。乞うご期待。
[訪問日:2016年7月29日]
コメント
体調不良でバイクで帰宅ですか?
ご自愛ください。
そうなんですよ。このときはほんと参りました。
突然、失礼します。
大津の柴屋町で最も有名な丸窓の物件ですが、、、大正楼ほどではないにせよ、昨年の台風で建物が大破しています。
丸窓の下の1階の窓は崩壊、マンション側2階の窓も一部崩壊・・・外からの風が建物内に吹き込む状態です(自分の目で確認済)。
有り得ない確率の偶然ですが、この物件のすぐ近所に大学の同級生の実家があり、彼の話では、大正楼と同様、行政側から建物所有者に対し「建物の修理or取り壊し」の要請が出ているものの、所有者側が応じていないらしく・・・。
同級生の話が正しいなら、このままでは、行政代執行…のパターンになってしまいそうです。
大変貴重なコメントありがとうございます。
建物内部が見えるようになっていることは私も把握しておりましたが、まさか話がそんな方向に進んでいたとは・・
ご近所の話とあってはほぼ間違いないでしょうね。行政代執行もやむなし、かもしれません。
遊郭の遺構が自然災害に負けることは、今後も多発しそうな気がしています。残念ですね。
楽しく拝見させて頂きました。
私の祖母は昔この芝屋町で置き屋をやっており、私が小さい頃は家に芸子さんがたくさんいたことを覚えています。
バブルのころは飲み屋さんや風俗のお店がところ狭しとひしめき合っていたのに…
今はこんなに廃れてしまっているのですね。驚きました。
当時はさぞ華やかで賑やかだったのでしょうね。
風俗も多様化して、京都などを除いて花街だったところは今はどこもこんな感じになっています。
時代の流れとは言え、昔を知る方が驚かれるのも無理はないと思います。