和歌山県湯浅町。
紀伊半島西部、リアス式海岸の入江に面し、古くは港町、また、熊野詣の宿場町として栄えた歴史を持つ。今日では「醤油発祥の地」として知られる町である。
珍しい「醸造町」
そんな湯浅町は、2006年12月に「醸造町」というカテゴリーで重伝建(重要伝統的建造物群保存地区)に選定されている。
和歌山県で初(現在も湯浅のみ)、醸造町としても初(2024年3月現在、複数種別の地区を含むと現在4件)という快挙であった。
江戸末期に建てられた元酒屋、『岡正』。現在は無料休憩所となっている。
ここの前に無料駐車場があるので、散策はおのずとここからスタートすることになった。
保存地区は旧市街地の北西にあたる、北に山田川、西に紀伊水道(海)を控える一角にある。東西約400m、南北約280mという歩くには程よいコンパクトなサイズである。
今歩いてるのが北町通り。最も見どころが多いのもここである。この通りに直交するように鍛冶町通り、中町通り、浜町通りという三本の筋がある。
16世紀末頃(江戸時代)に作られた町割が今もそのまま残っている。
北町茶屋いっぷく。江戸末期の民家を改装した茶店。
建物の意匠は切妻平入り、厨子二階、虫籠窓、格子、そして幕板と保存地区では割とオーソドックスな感じで、この地域特有の何かがあるわけではない。
あくまで湯浅は「醸造町」。今も残る醤油醸造関連の町家や土蔵、その文化や歴史そのものに価値があるのだろう。
湯浅の醤油の起源は鎌倉時代まで遡る。
大陸(中国)から伝わった金山寺味噌の製造過程で、仕込みを間違えてたまたま出来たものが今の醤油の原型になったと言われている。
これについては諸説あるようであるが、味噌が元になったという話は概ね間違いないようだ。
この醤油醸造は、藩の保護を受けて猛烈な勢いで発展し、文化年間(1804~1818年)には92軒もの醤油屋があったという。
しかし明治維新を機に保護を失い、今度は猛烈な勢いで衰退。
現在では醤油蔵もほとんど失くなってしまい、数軒を残すのみとなっている。
こちらの町家は江戸末期築。
元々醤油醸造家だったのが、現在では金山寺味噌の製造販売をしている。レトロな丸型ポストとの相性が抜群である。
北町ふれあいギャラリー。
空き家になっていた明治時代の町家を活用して、休憩所&ギャラリーとした建物。
湯浅と言えばこの角長(かどちょう)。
創業天保12(1841)年。現在、唯一湯浅醤油の伝統を守り続けている醤油屋さんである。
創業170年を超える建物からはただならぬ風格が漂っている。
中に入ってみたが、やっぱり醤油もお高かったので買わずに出てきた。あまり消費しないということもあるが、筆者のような小者はスーパーで売ってる安いやつで十分である。
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コメント
確かに湯浅醤油は有名ですね。
当方は千葉県民なものでキッコーマンかな
観光地していなくて、良い町並みですね。
そう言えば千葉にもN市という醤油の産地がありましたね。(実は行ったことがない)
ちなみにヤマサも千葉ですよ(笑)