途中の分岐を左手に進むと、海べたに立つ「旧海軍聴音所跡」にたどり着く。
読んで字のごとくで、潜水艦などの侵入を察知するために造られた軍事施設である。
旧海軍聴音所跡
レンガとコンクリートで造られた内部は、まだ崩落まではいたっていなかったが色々なところがボッコボコになっていた。
まるで廃村の診療所跡みたいなテンションである。
HDR調で1枚。
ここだけ散策コースから外れるし、よほどの暇人かミリオタぐらいしか来ないよね、とか思ってたら一人で来ていた若い女の子がいてちょっとビックリした。
ここから海を見張っていたんだろうか。
そっちはどうだい?
うんともすんとも言わねえです。
無線封鎖して行方をくらます気だね
さて、寄り道はこんなところにして先へ進もう。
途中でだたっ広い空き地があったと思ったらそこがキャンプ場だった。
開放感だけは素晴らしいけど、風強そうだしそもそも水が飲めないから不便そう。やっぱりキャンプは山の中がいいな。
その先にあるのが孝助松海岸。砂浜じゃないのね。
第1砲台跡。ここは立入禁止となっている。
お願い!開いて~!!
そして友ヶ島灯台である。明治5年、日本で8番目に出来た洋風の灯台で今も現役。
この灯台が金属なのか粘土なのか、それすら我々の科学力では分からないんだ
灯台のそばにある子午線広場。子午線が通る場所では日本最南端になるらしい。
第2砲台跡
最後が第2砲台跡。他の砲台跡と比べ、ここだけ様子が違っている。
というのも、終戦後に米軍によってバルス爆破処分されているのだ。
ロープが張られ、もちろん中には入れないようになっている。
シータがつかまったんだ。僕は助けに行く。
縄を切るから逃げて!
確かに爆破されたような不自然な壊れ方をしている。
滅びの言葉を使ったんだ。あの子たちはバカどもからラピュタを守ったんだよ
ここは・・玉座の間だろうか。
これが玉座ですって?ここはお墓よ。あなたとあたしの。
あなたはここから出ることもできずに、私と死ぬの!
…ルシータ王女がいたくご立腹なのでそろそろふざけるのはやめておきます。
さて、と。そろそろ野奈浦桟橋へ戻りますか。
と、そこには廃業して放置された旅館があった。
入口には板が打ち付けられ固く閉ざされている。
海水浴客用であろう脱衣所、シャワーももはや昭和の遺物以外の何物でもなかった。
かつては海水浴とか釣りとかBBQとかのレジャーで今よりもっと賑わっていたんだろうなぁ。
次の船まで20分くらいあったので野奈浦広場で読書をしながら待った。
こういうときにKindleがあると便利。海を眺めながらの読書なんてなんとも優雅なひとときだった。
さらば友ヶ島。
紀淡海峡に浮かぶ要塞島。釣り、海水浴、BBQ、そして戦跡と、宿泊の有無以外は猿島とほぼ共通していた。
東西のラピュタ。
かつて、恐るべき科学力で海上にあり、全地上を支配した恐怖の帝国は確かに存在した。ラピュタが好きな方には是非とも足を運んでほしいと思う。
[訪問日:2016年11月5日]
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