安芸の小京都、竹原の町並み保存地区。
見どころが多い町を引き続き歩いて行く。
ここの建物は、二階建ての切妻造、本瓦葺きの町家(商家)が多く、平入り、妻入りが混在という特徴を持っている。
そして最たる特徴が、「竹原格子」という独特の格子をしつらえている点である。これはあとでもう一度触れたいと思う。
やっと記憶に残る建物が出てきた。
初代竹原郵便局跡(上吉井邸)。明治4年に建てられ、60年間郵便局として使われていた建物。
この脇の道を進んだ先の西方寺の階段からは、竹原の町を見下ろすことができる。
これだけ10年前の下手っくそな写真で勘弁してください(-∧-;)
空が完全に白飛びしてせっかくの夕焼けもだいなし・・
竹原格子
一階には出格子、中二階の虫籠窓には塗格子(松阪邸のがそう)があり、一軒一軒意匠の異なる実に趣向を凝らしたデザインになっているのが竹原格子の特徴。
職人の匠の技が光るデザインは見てるだけで楽しい。竹原散策の際は、目を皿のようにして格子見学をしていただければと思う。
白壁の土蔵、腰回りはなまこ壁。こんなのもあるのか。
白壁と青空は本当に相性がいい。
その先に突如擬洋風の建物が現れ、はっとさせられる。なんだこれ、と思ったら元図書館、現歴史民俗資料館だそうな。
その横に広場があり、マッサン&リタの銅像があった。
ウイスキーは学生時代のトラウマのせいでまったく嗜まないから、すいません感情移入できませんでした。
竹原の歴史(江戸期)
書きたいことはだいたい書いた感があるので、順番おかしいけどここで竹原の歴史を紐解いてみようと思う。
古くは平安時代、京都下鴨神社の荘園だった史実から竹原の歴史が始まる。
歴史は下り、江戸時代中期の干拓事業で入り江を埋め立てた竹原。新田にするつもりが
ショッパ!!
( -д-) 、ペッ
塩分多すぎで土地が耕作に向かないという何とも残念すぎる結果に。
しかしそこで塩田にするというサヨナラホームラン的発想が奏功し、そこから飛躍的な発展を遂げることに。
なお、製塩には「赤穂の天塩」で有名な塩の国、赤穂から技術者を招聘したそうである。
もうひとつ、竹原の発展を語る上で外せないのが船運。
製塩と時を同じくして船着き場が整備され、塩の積み出しで大いに賑わった。さらに北前船の寄港地にもなり、こうなったらもう全国へ塩を売れまくれるわけである。
塩田の経営者がいかにして莫大な富を築いたかがよくわかった。
塩を運んだ北前船は竹原に米をもたらし、これが酒造業が興るきっかけとなった。ただし酒のほうは藩の制限などもあり、江戸時代にはあまり発展はしなかったという。
保存地区の町並みは、この頃に製塩や酒造、廻船で莫大な富を得た商人たちの豪邸によって形成されている。
冒頭にも書いた通り、この地は経済の中心であったゆえに後世に残す価値のある町並みができたわけである。
竹原の歴史(明治期以降)
さて、明治と言えば鉄道が敷設されリスクの高かった船運が衰退していく時期である。
竹原は元々廻船業ではなく製塩業で儲けていたのでこの点は特に問題なかったのだろうと思う。
そしてこの時期、藩がなくなり規制が解かれたために酒造業が再興。
とまぁそんな経緯で、竹鶴酒造をはじめ竹原には造り酒屋が多い。
っていうのをこのとき知ってればねぇ。自分用に一本買って帰ったのに。
まぁでも、広島の銘酒って何だっけ?って言ってる時点でまだまだ精進が足りないなぁと思った。
※この頃はまだそこまで地酒に詳しくなく、広島の西条が「日本三大銘醸地」であることを知るのはもっと後になってからの話。
さてと、写真もネタも出し尽くしたのでそろそろ竹原編を締めようかと。
このブログを始めてから、いつか再訪しなきゃな・・とずっとモヤモヤがくすぶる場所だったので、やっと来れてすっきりした。
保存地区自体も結構コンパクトで歩きやすかった。駅からも歩けなくはないし、総じてアクセスも良いと思う。
電車にしろ車にしろ、車窓からはオーシャンビュー。竹原は来るまでも楽しめる。
小京都と日本酒を愛する貴方には、是非安芸の小京都、竹原を訪れてほしい。
[訪問日:2016年12月31日]
コメント
小江戸も胡散臭いかも、、、
ここは、その某アニメでしりました。
なんか、なつかしいカメラが出てくるアニメでしたね。
あー、小江戸も胡散臭いですね・・
某アニメはカメラの話なんですか。(ストーリーをまったく知らない)
次回、行く機会がありましたら。羽織り袴に下駄、ボサボサ頭に帽子をかぶって散策してみて下さい。もちろん、ボロっちいトランクも持参。「事件ですか?」と声をかけられます。潜りの産婆さんがいた薬局を案内されるかも。
その格好ですとかなり目立ちますね。普通にロケか撮影と間違えられそうな気がします^^;