赤線時代の名残を求めてやってきた特殊な街、神戸・福原。ここから後編。
お、やっと怪しい建物が出てきた。「お座敷サロンうたげ」。
これはどう見ても限りなく黒に近いグレーじゃないか。
はい、料理屋でした。料理屋?
あぁそうか、そういうことか。わかった。
そのまま、人しか通れない細い路地を進むと今度は・・
小料理店。
昭和30年の『全国女性街ガイド』によれば、福原遊郭には戦後、芸者が60人ほどいたという記述がある。(ちなみに戦前は2,000人いたとか)
元々娼妓1本じゃなかったってことなんですね。今は完全に娼妓だけだけど(笑)
廓内には、なぜか海の神様で知られるこんぴらさんこと金刀比羅宮の分社がある。
開港地だからなのかなぁ。もしかしたら(港に近かった)移転前からあったのかもしれない。
三業組合がしっかり寄進してますね。
あ、あれ?ちょっとググってみたんだけど「福原三業組合」ってもしかして今でもある??
ここを歩いたときは福原に三業地の機能があったなんて全然知らなかったんだけど、今改めて写真見ると、これとか料理屋か待合だったんじゃないかって雰囲気。
まぁ、とは言え全体的にパンチの効いた遺構は皆無で、むしろ特殊なお風呂屋のほうがよっぽどパンチの効いた外観してたよ!っていう残念すぎる結果。
結構ぐるぐる歩いたしはぁ、そろそろ帰ろうかな、って思ってたところで偶然出会ったのがこれ。
転業旅館だったけどもうやめちゃいました。的なオーラが全身から出てる。これはクロだろう。
という感じでまぁ、あまり成果らしい成果もなかった福原散策。もうちょっと何かあるのかと思ってたけど、何とも不完全燃焼極まりない45分間(滞在時間)だった。
この日、朝の9時前後に歩いたんだけど、お店はほとんど開いてたにも関わらずそう言えば全然呼び込みに遭わなかった。
ここのルールなのかな。個人的には活気のあるボーイさんのほうが好きなんだけど。
そういう意味じゃ、まったくもって東(堀之内)の完勝だった。
おしまい。
[訪問日:2017年2月4日]
コメント
私は40代の頃、仕事で福原界隈によく行きました。もう何度行ったかもわからないほどよく行きました。まるで庭のようでした。だからこの記事はとても懐かしく、楽しく読ませて頂きました。ありがとうございました。
昔の思い出に触れることができたとのこと、よかったです。とても嬉しいお言葉です。
こちらこそありがとうございました。