東京は小金井にある、ジブリアニメゆかりの「江戸東京たてもの園」。このシリーズ、写真数(建物数)が多くて気付けば3部になってしまったが、今回で終わるのでもう少しおつきあいいただきたい。
ものすごいインパクト・・
昭和初期、神保町に建てられた荒物屋(雑貨屋のこと)。銅板で覆われたファサードは圧巻。
昭和らしいホーロー看板。
ちなみにこの青星ソースはのちにユニオンソースとなり、その後オタフクソースに買収される顛末となる。
ゴミ箱と防火用水は、昭和の家庭ならどこでも当たり前に見られた光景。
戦後間もない頃などは、ゴミ収集は大八車で各家庭を回っていたそうだ。そして収集後にはゴミ箱を水で洗って臭いを消していた。なんとも大変な時代だったわけだ。
昭和の頃はあちこちで見られたリヤカーつき自転車。
最近ではヤマトが導入しているのでたまに目にする機会もあるかと思うが、騙されちゃいけない、あれは電動自転車なのだ。
吹き出る汗を拭いながら坂道を上っていた昭和のお父さんも涙目必至である。
明治初期頃、青梅街道沿いに建てられた万徳旅館。
旅館を営んでいたのは晩年で、中は1950年(昭和25年)頃の様子を再現している。
白金で大正期から営業していた小寺醤油店。
建物は1933年(昭和8年)竣工。醤油以外にも、味噌や酒を売っていたらしく富裕層が住む白金だけあって相当繁盛したそうだ。
明治初期に文京区に建てられた町屋。
先ほどの醤油店もそうであるが、2階の庇の下、角材が横たわっているのがおわかりいただけると思う。その角材を支えている木のことを腕木といい、先端に桁が出ていることからこの構造を出桁造り(だしげたづくり)という。
明治、大正期を代表する一般的な商家建築のひとつであった。
鍵屋という居酒屋。なんと1856年(安政3年)竣工と言われている。台東区の下谷、言問通りにあった。
そして、この鍵屋こそがジブリシリーズ第三弾のまさにそれである。
こちらも千と千尋の神隠し。千尋の両親がてんこ盛りの料理を一心不乱に食べ続けて豚になった食堂のモデルがここ。
店内の様子。
大根おろし50円、味噌おでん60円。なぜか現代価格の表示にツッコミを入れたくなった。
あ、そうかもしかしたら「50銭」かもしれない。
湯屋のモデル
そして最後。これが第四弾。
千と千尋の神隠しの湯屋のモデルとなったと言われている子宝湯。
北千住の北西、千住元町に1929年(昭和4年)に開業したこの銭湯は、当時の相場の建設費用の倍額を投じられたまさに高級銭湯。
よく見ると唐破風の部分に七福神の彫刻があるんです。それを見て納得。
一応中も撮ってきたので紹介。
湯屋のモデルになったと言われる建物は諸説あって、皆それぞれ自分のとこがそうだと言い張ってるそうですが、個人的にはやっぱり道後温泉の本館が一番イメージに近いかなと。
まぁ、実物を見たことあるのは道後温泉とここだけってオチなんですが(笑)
関東大震災を経験した東京において、銭湯も高い耐震性が必要とされていた時代。
さらに、天井が高く、柱がない大空間。これらの要求をクリアするために、寺社建築であった破風造りの銭湯があちこちに建つようになっていく。
言ってみれば、震災が銭湯文化を築いたと言っても過言ではなかったわけである。
現代では破風造りの銭湯もずいぶん数が減ってしまった、というか銭湯自体ものすごい勢いで減少している。
銭湯は江戸時代から庶民の社交場として親しまれてきた歴史がある。
個人主義というか、多様なライフスタイルや趣味嗜好により近所づきあいや人間関係が希薄となり、少子高齢化のためなのか儲からないからなのか後継ぎ問題にも直面し、さらに設備の老朽化ときたら存続しろというほうが無理だと思えてしまう。
どげんかせんといかん。
昭和28年には15円であった銭湯。ちなみに現在は、昨年7月に10円値上がりし460円である。
単身者で賃貸の場合、往々にして風呂は足が伸ばせないほど狭い。たった460円で広い風呂に入れるのだから、別に浴場組合の回し者ではないが皆銭湯に行こうぜと声を大にして言いたい。
ちなみに筆者は隔週ほどのペースで銭湯に足を運ぶ。日帰り温泉や温泉宿もよく訪れる。比較的有名な横文字の某検定も持っているほどの温泉好きである。
いつの間にか脱線してレトロ建築から温泉の話になってしまったのでここらで軌道修正。
幸い東京には、この子宝湯と同年代の銭湯がまだいくつか残っている。代表的なのが、千住遊郭のあった千住柳町の近くにある同じく破風造りの大黒湯。昭和2年創業と子宝湯より2年先輩。
実際行けばわかるが、とにかくでかい。その存在感たるや凄まじくまさにキング・オブ・銭湯。
(写真は千住遊郭の記事を書くときにご紹介します)
※大黒湯は2021年6月、90年の歴史に幕を閉じました
壁には富士山。日本の銭湯はやっぱこうだよな!って叫びたくなるほどの直球ど真ん中。もはやぐうの音も出ない。
全3部でほぼすべての建物を紹介してきたけど、行ってみて思ったことは、こういう風にきれいに手入れされて保存されている姿もいいけど、やっぱり街中に埋もれるようにひっそりと余生を送るレトロ建築のほうが味があっていいよな、ってこと。
なんていうか放つ終末感が胸を打つのだ。
だからこそまち歩きは楽しくてやめられない。
[訪問日:2013年12月22日]
コメント
はじめまして、今紫と申します。御ブログを随時拝読しております。私は遊廓・赤線建築に興味があります。京都も花街建築が残っておりますが近年の建て替えで減少してきてのはご存じでしょう。
江戸たてもの園の記事を拝読致しました。東京都内の貴重な建造物が保存・再生されているのは何よりの幸福です。機会がありましたら足を運びます。また、今は無き東京の花街・遊廓・赤線建築が移築・復元されることを望みます。
これからの記事を楽しみにしております。
今紫さま
はじめまして。いつも拙ブログをご覧いただきありがとうございます。
江戸東京たてもの園は、古い建物に興味のある方であれば必ず楽しめる場所だと思います。私も、妓楼や赤線建築こそこのような場所で保存されるべきであるという意見には大いに賛同します。
全国各地に残る貴重な建物を求めて、今後とも拙筆ながら綴っていきますのでよろしければまた遊びに来てください。