京都府宮津市。と聞いてもピンと来ない人は少なくない気がする。
では「天橋立」はどうだろう。
そう、この日本三景のひとつ、天橋立があるのが丹後半島の付け根に位置する宮津である。
天橋立は10年前に来たことがあるので今回はスルー。道の駅にピットインし14時頃、ようやく遅い昼飯にありつく。日本海を眺めながらの優雅なランチタイムだった。
一息ついたところで、満を持して散策にくり出した。
と言っても、目的地は道の駅の目と鼻の先、新浜という地区。
かつてこの地にあった『宮津新浜遊郭』の名残を見るのがこの日のミッションである。
新浜遊郭
『全国遊廓案内(昭和5年)』によると、新浜に遊郭ができたのは安政元年(1855年)とかなり早い。ところが、慶応二年(1866年)に近くの万年遊郭への合併を命じられて移転することに。
この万年遊郭があったところには、現在「万年新地」という地名がそのまま残っている。
ただ、名残はないらしいので行かなかった。
明治11年には万年新地が廃止され、すべての業者が新浜に戻ることになった。
早速当時のメインストリートを散策する。
純和風なスナックの存在から色街のよすがを感じ取ることができる。
おや?
なんと、建物内部が“ぬけられます仕様”になっていた。どう考えてもこれは入ってみるしかないだろう。
ちなみにこの路地、「四軒町」という名がついているらしい。
反対側から。京都の祇園や先斗町あたりをほうふつとさせる路地裏風情。
それもそのはず、実はここ宮津も遊郭でありながら花街でもあった場所なのである。
これはこれは…カフエーさんではないですか。
こんなところでお目にかかるとは。
それにしても、京都府の鑑札はいつ見ても重厚感がありますな。
入口のところは、二階が渡り廊下でつながっていた。この構造、元色街を歩いてるとたまに見かける。
かつて検番があった場所には…
風格のある建物の前ではたと足が止まった。何か書いてある。
かつて、この場所に検番(歌舞練場)があり多くの芸者で賑わっていたことが案内板には書かれていた。
そう言えば、全国遊廓案内には貸座敷59軒、娼妓84人、芸妓も50~60人いるという記述があった。事実、新浜は質、量ともに祇園と比肩するほど格式の高い花街だったそうである。
格子を配した塀からは、既に十分すぎるほど花街の名残を思わせる雰囲気が漂っている。
かつて脂粉が漂い華やかだった通りは、まるで何もかも忘れてしまったかのように、喧騒とは無縁な間延びした時間が流れていた。
もう少し付近を歩いてみよう。
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