瀬戸大橋の西側に浮かぶ、大小28の島々からなる塩飽(しわく)諸島。
その塩飽諸島の中心である本島に「笠島」という集落があり、江戸時代からの古い町並みが残っている。
海や離島が好きな筆者としてはいつか訪問したいとずっと思っていたこの場所。念願叶ってようやく行くことができた。
本島は住所的にはうどん県丸亀市。
丸亀港からフェリーで約30分という場所にある。
瀬戸大橋を眺めながらの船旅に、いやが上にも気分が高まって行く。
いやぁ、瀬戸内最高や(*´ω`*)
本島に上陸
まったく危なげなく本島に上陸。
ワクワクするなぁ。行くだけで非日常感が味わえる離島ってホント好き。
振り返ると瀬戸大橋も近い。
これ、頑張れば泳げるんじゃない?(ごめんなさい無理です)
笠島集落へ
お目当ての笠島集落は島の北東側にあり、ナチュラルに徒歩で25分ぐらいかかる。
まぁそれぐらい全然歩くけど、しんどい方はレンタサイクル、一応コミュニティバスも走ってるらしい。
何度かの分岐を経て、集落へ続く一本道に入ったところで面白い鏝絵を見つけた。
大黒さんとおかめなんだけど、なんか目に電球が入ってて光るらしい。
いや、知らずに夜来たら軽く腰抜かすレベルで怖いよ…。
真夏の炎天下にこれだけ歩くとさすがにキツいな・・と思い始めた頃に集落に到着。
案内板があったので軽く目を通す。
鬱蒼とした切り通しのような道を抜けた瞬間視界が晴れ、ジオラマのような町並みが目の前に現れた。
何この不意打ち・・すごい。
笠島集落である。
ここまでの道中、この島にこんな町並みがあることを予感させるようなものはなかったけどなぁ。まさにいきなりタイムスリップしたような感覚。
メインストリート沿い、脇道にも古い格子造りの町家が立ち並ぶ。
見た目通り、江戸期のものも多い。
この目抜き通りは「東小路(とうしょうじ)」と言うらしい。
名前のついた通りがあと二本あるので、また後ほど紹介したい。
笠島の歴史を知る
塩飽諸島は戦国時代に活躍した塩飽水軍の本拠地で、本島はその中心だった場所。
付近は潮の流れが速く腕のいい船乗りが育ったことで、塩飽水軍は操船と造船技術に長けた集団だったそうだ。
そんな塩飽水軍をいち早く味方につけたのが織田信長。
朱印状を与えて手厚く保護し、要所要所で水軍の力を借りるという関係性を築いた。それは秀吉、家康にも受け継がれ、さっき途中で通った「塩飽勤番所」にそれらの朱印状が展示してある。
東小路の突き当たり。
交差する通りが「マッチョ通り」。
江戸中期までは水運で栄え、幕府により自治が認められるという異例の超VIP待遇だった塩飽諸島。
その後は廻船業が全国的に広がりを見せ、塩飽の需要は激減。
しかし造船技術も持っていた塩飽の船方たちはそのスキルを活かし、“塩飽大工”として各地へ行き、おもに中国地方を中心に活躍。
集落に残る町家は、その塩飽大工が建てた家である。
というのが塩飽諸島、本島のおおまかな歴史。
江戸時代の町割り、町並みが残る笠島集落は1985年、「港町」で晴れて伝建地区(重要伝統的建造物群保存地区)に選定。
無電柱化もされて、すっきりしたきれいな町並み。
なんて丸型ポストが似合う町なんだろう。
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