今日は久しぶりとなる岐阜県の話を。
大垣にある赤線跡、『墨俣夜城園』に行って来ましたよ、というお話。
観光客向けの駐車場にクルマを停め、かつて料亭だった建物を横目に散策を開始した。
こちらの料亭は、今は近くにある別の場所で『やちぐさ味彩』という日本料理屋をやっている。建物だけが残った形だそうだ。
この日訪れた「墨俣(すのまた)」という土地は、元々美濃路の宿場町だったところ。
それと、何と言っても『墨俣一夜城』が有名である。
かの太閤秀吉が「木下藤吉郎」だった頃に、一夜で築いたと言う言い伝えが残る城で、現在は模擬天守の建物が歴史資料館になっている。
夜城園跡を歩く
墨俣宿は揖斐川と長良川に挟まれた立地から、非常に重要な宿場だったようだ。
本陣や脇本陣も置かれるほど賑わい、その流れを汲んで遊郭ができたのだろう。
今はもっぱら赤線時代の呼称である「夜城園」で呼ばれている。
城があった土地柄らしい、素晴らしく秀逸なネーミングだと思う。
ここもずっと前から行く機会を虎視眈々と狙っていたものの、機会に恵まれなかったりタイミングが合わなかったりでなかなか訪問が叶わなかった。
その間、各方面から「遺構が消えた」系の悲報を3回ぐらい聞かされ、正直この日はのっけからモチベーションが低かった。。
それでも、この建物を見たらさすがにテンションも上がってきた。
夜城園跡でもっとも有名な遺構。
もうずいぶん長いこと廃屋になっていて、いつ取り壊されてもおかしくないと言われ続けながらもしぶとく命脈を保っている物件である。
立て掛けてある木材がつっかえ棒にしか見えないし自然の作用に任せるがままに荒れまくってるし、美しいベンガラ調が見る影もないほど台無しである。
岐阜は比較的よく残ってるから見つけたときの感動が薄いんだよな(笑)
隙間から中が覗けたので・・ちょっと失礼。
って、、ゴミ屋敷やないかーい!!
これはあかん。。
脇道から中が見えた。みんな撮ってるこのアングル。
そうなんですよ、ここは足を運んでいる先人たちの何と多いことか。
まぁ、大垣って名古屋からも近くアクセス良いですからね。
そんなわけで、筆者の仕事は現状確認ただそれだけ。
奥行きの長さに驚かされた。
間口もそこそこあるし、かなりでかい建物だった。
ここらで目抜き通りの一本北にある路地へ。
これは間違いなく夜城園の関連物件でしょう。
ストリートビューの航空写真で見てみると、コの字型の建物で中庭がありそうな感じだった。
そこからもう少し西へ行くと八幡神社があった。
夜城園跡のすぐ北側は犀川の堤防になっている。
東側には長良川。
往時はさぞ風流な場所だったんだろうと思う。
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