維新発祥の地。武家町感あふれる城下町「長府」を歩く

山口県
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九州を脱出した。
結局北九州に一日いただけで、慌ただしく本州に戻ってきた。

旅は残すところ3日。
この日は広島で泊まる予定だったので移動距離は200kmといったところだ。
余裕しゃくしゃくである。

高速で一気に行くのも悪くないが、それじゃもったいないので一部区間のみ使うことにした。
まず立ち寄ったのが下関の長府。

下関の中心部から北東へ10km。
“町はずれ”の表現が妥当と思えてしまうその場所は、歴史の表舞台に幾度となく登場したすごい町だったりする。

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ざっと長府の歴史を

長府の名は、この地に長門国(今の山口県西部)の国府が置かれていたことに由来する。
国府とは今で言う県庁のようなものだ。
つまるところ、政治の中心地だったわけである。

関ヶ原の戦い後、毛利秀元が長府藩(長州藩の支藩)の居城として櫛崎城に入城。
城は1615年の一国一城令で棄却されてしまうが、隣接地に居館(陣屋)を構えて藩庁とし、以後も変わらず5万石の城下町として長府は発展していった。

また、長府は高杉晋作ゆかりの地でもある。
幕末、長州藩を倒幕へと導いた晋作が挙兵したのがここ長府の功山寺。

それゆえ、『維新発祥之地』とも呼ばれている。

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古江小路

城下町、武家町だった面影を最も色濃く残すのがこの古江小路

黄土色の練塀が続く通りで、タイムスリップしたような気分にさせてくれる。

道行く人々を威風堂々と迎えているのが『菅家長屋門』。
当時のままの姿で残っている、長府を代表する景観である。

今の長府には藩政時代の建物はほとんど残っていないが、長屋門や練塀が武家町らしいしっとりとした風情を醸している。

もう一本、忌宮神社の西側に『横枕小路』というのが伸びているのでこちらも併せて見ておくべき。

明治4年に創業した料亭『小串屋』。
それ以前は藩のお抱えで、高杉晋作も通ったという歴史を持つ超老舗料亭。

長い土塀に囲まれただたっ広い更地があったけど昔は何だったんでしょうね。

更地の向こうにちょろっと見えてるのが『長府藩侍屋敷長屋』。
上級武士が暮らした長屋の遺構で、元々は南に500m離れた場所にあったのを移設保存したもの。

旧野々村家表門

こちらも移設保存された上級藩士の屋敷。
表門と練塀のみ。

 

あまり時間がなかったのでここらで戻ることに。
余裕があったら「功山寺」や「長府毛利邸」(毛利家14代、毛利元敏が明治36年に建てた邸宅)なんかも見たかったけどしょうがない。

壇具川には鴨や鯉の姿が。和む。

途中、えぇ感じの市場を見つけた。
外観はそこまででもないけど、中は激渋ハイレベルな市場のようだ。
正月だったのが悔やまれる。

「維新発祥之地」石碑

最後に長門国の二の宮である「忌宮(いみのみや)神社」。
創建199年、古事記や日本書紀にも登場する古社は初詣客で賑わっていた。

幕末史や維新が好きな人には是非とも訪れてほしいまち、下関の長府。
但し、距離が離れてるから長州藩(萩、山口)とセットで・・とはなかなか言いづらいのが辛いところなんですよね。

[訪問日:2020年1月3日]


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