ヒョーゴスラビア連邦をご存知だろうか。
近畿地方に存在し、巷では「兵庫県」と呼ばれる多民族国家のことである。
そこは、「但馬」「丹波」「摂津」「播磨」「淡路」の旧五国から成り、現在もそのままその分類と呼称が有効である。(摂津のみ、「神戸・阪神」となった)
日本海と瀬戸内海に面し、海あり山あり、都市あり田舎あり、北と南では気候も気質もまるで異なる多様性から、ひとつのイメージでPRすることをあっさりと放棄した県が、開き直って『兵庫五国連邦』などと言う名でオフィシャルに発信を続けている。(興味のある方は「U5H」で検索されればよろしいかと)
筆者が兵庫県を愛してやまない理由もこの多様性にある。
当ブログでも、近畿では兵庫の記事が突出して多い事実がそれを物語っている。
今日はヒョーゴスラビア連邦で「タジマニア共和国」と称される但馬地方、その中心である豊岡の話をしようと思う。
豊岡と言われてもピンとこないかもしれないが、城崎温泉がある市と言えば膝を打つだろうか。
また、町並み界では、皿そばが有名な出石があるのもこの豊岡だ。
豊岡は近代建築がすごい!
この日足を運んだのは豊岡の中心部。
このエリア。古い建物、とりわけ近代建築の宝庫であることで有名なのだ。
まずは昭和2年に建てられた、豊岡市役所旧庁舎。
豊岡のランドマークとも言える建物だ。
この裏手に現在の庁舎が立っている。
そして道路を挟んだ反対側は、登録有形文化財の旧豊岡市役所南庁舎別館。
昭和9年に「兵庫県農工銀行豊岡支店」として建てられたもので、現在は『オーベルジュ豊岡1925』という宿泊施設に生まれ変わっている。
この市役所がある通りを「大開通り」と言うのだが、通りに沿って近代建築のオンパレード。
(オンパレードはちょっと盛りすぎかもw)
なぜ豊岡に近代建築が多いのか。
1925(大正14)年に発生した北但馬地震で大火災が起こり、豊岡の街は文字通り壊滅してしまう。
そこから耐火様式の看板建築が怒涛の勢いで建設され、それが今も残っているというわけだ。
なのでよく「復興建築群」と呼ばれる。
気がついた方もいるかもしれないが、「豊岡1925」はまさにこの北但馬地震が起きた年を表している。
復興元年、と言う意味合いだろう。
被災からそろそろ100年を迎えようかと言うことは、換言すると復興建築群も軒並み百寿が近いことを意味する。
それがこの密度で残っているのはちょっと信じられないぐらいである。
見どころはいたるところにあるが、その中でも大開通りの白眉とも言えるのが「メンズショップBOB」が入居するこの建物。
特に歩道橋からの眺めが圧巻。
ここらで南に並行する「生田通り」へ。
この通りも、駅寄りに少しだけ近代建築が残ってるんだけど見逃してしまった。
いや、まぁ、、脇道に吸い込まれて路地を彷徨ってたのが見逃した理由なんだけども(汗)
個人的には近代建築よりこんな感じのバラックのほうが惹かれるわけでして…w
おばちゃんのおかげでえぇ感じの写真が撮れた。
ありがとうおばちゃん!
突然こんな建物が出てくるんだから豊岡の路地裏は侮れない。
銅板の看板…見るからに年代物だ。
じゃあそろそろ「アレ」を見に行こうか。
(2ページ目へ続く)
コメント