小さな小京都。出石城下町で町並みと名物の皿そばを味わってきた

兵庫県
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城崎温泉を有する豊岡市は、年間400万人を超える観光客を集める名実ともに但馬地方のエース格と呼べる存在である。

そして、その城崎から足を伸ばす人も多いであろう、年間100万人の観光客が訪れるのが、かつて城下町だった「出石(いずし)」だ。

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出石にまつわるエトセトラ

古事記や日本書紀にすでに名前が登場するほど歴史の古い出石に城が築かれたのは室町時代のこと。
その後、有子山城、出石城と場所を変えながらも、但馬の中心地として五万八千石の城下町は繁栄してきた。

見どころも多く、散策しやすいコンパクトな町並み。そんな出石の最大の見どころとなるのが、町のシンボルでもある大時計、「辰鼓楼(しんころう)」だ。

・・おや?

おぅふ・・orz

えっとですね、ここに辰鼓楼なる時計のついたでっかい櫓台があるんです。
各位、心の目で見てください。。

(当時、平成の大修理の真っ最中でした。今はもう普通に見れます)

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城下町の町並みを見る

出石城は明治の廃城令でその役目を終えるが、堀や石垣の他、当時整備された碁盤の目状の町割りが現存し、古い町家や商家も残る町並みは2007年に「城下町」の種別で重伝建(重要伝統的建造物群保存地区)に選定された。

なお、町割りが碁盤の目な城下町であることから、出石は「但馬の小京都」とも呼ばれている。

保存地区の範囲は、東西620m、南北600mとまっすぐ歩けばそれぞれ10分もかからないぐらいコンパクト。
ゆっくり巡って買い物して食事して、一日のんびり過ごすにはちょうどいいサイズ感だと思う。

明治9年の大火で8割以上の建物が焼失したそうで、現存するものはほとんどがそれ以降に建てられたもの。一部、武家屋敷や社寺はそれ以前のものが残っている。

桂小五郎(のちの木戸孝允)は、禁門の変で幕府から追われる身となり、一時期出石に身を隠していたという歴史がある。
そのとき、「広江孝助」という偽名を使って住み込みで働いていた荒物商の跡地がここ。

売物件になってたんだけど、元は古い飲食店だったと見える建物に料理屋のプレートが残っていた。
兵庫県は丸じゃなくて長方形なんですよね。

出石の町家はほとんどが切妻造りの平入りで、明治に焼けたせいか本二階のものが比較的多かったように思う。

そして、壁土が赤っぽい珍しい建物がいくつかあった。(最初のほうにも一軒登場してます)

厨子二階&虫籠窓のオールドスタイルな町家も。

(2ページ目へ続く)

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