岡山北部、美作エリアにある美作三湯(みまさかさんとう)をご存知だろうか。
「湯郷温泉」「湯原温泉」「奥津温泉」から成る中国地方を代表する温泉地である。
湯郷温泉はこのブログでも一度行ったことがあるが、このときの旅では未訪問だった湯原と奥津に足を伸ばしてみた。
ひと月ほど前だろうか。
宿を取ったとき、電話口に出たのが高齢のおばあちゃん(女将さんのお母さんのようだった。おそらく先代女将だろう)で、あろうことか予約が通っていなかった
という前代未聞の事件がこの日起きた。
おいおいまた車中泊かよ・・なんてこった。。
もらい事故のような展開になかば落胆していたら、部屋は空いてるとのことで事なきを得た。食事も出してもらえたので結局予定通り。
話のネタが増えるという予期せぬお土産がついた。
湯原温泉を歩く
このときの湯原は、宿ではなく単純に温泉が目当て。
次いで温泉街である。歴史ある温泉地は総じて渋い町並みをとどめていることが多い。
チェックイン前に少しと、翌朝にぶらぶらと温泉街を散策した。
こどもの日を控え、さすがに鯉のぼりがよく目につく。
やねよ~り~たか~い・・
…はっ!
違う!!
よく見たら鯉じゃない!!!!
なんか足生えとる!!!
そうなのである。
答えは温泉街の案内図にもあったが、これは鯉ではない。
増水後の鴨川でよく見られる、キモかわ系の筆頭格。
コアな女性ファンも多いと言う、あのオオサンショウウオである。
確かにずっと眺めてるとじわじわ来る可愛さであると思う。
そこは個人的にも賛同できる部分であるが、触れ合いたいかと言われたらノーサンキューである。。
実は湯原温泉はオオサンショウウオの生息地として有名なのだ。
さて、そんなオオサンショウウオで有名な湯原温泉だが、昭和50年代の全国露天風呂番付とやらで西の横綱と称された、「砂湯」という有名な露天風呂がある。
湯原ダムのやや下流にある、川底から温泉が湧き出る天然の大露天風呂。
しかも24時間無料で開放されている。
準備をしてこなかったので遠巻きに眺めるだけになってしまったが、今度行く機会があれば入ってみたい。
いくらダイナミックな砂湯と良質な湯が売りとは言え、そこはやはり中国地方の片田舎。
観光地化されることもなく、昭和の風情を今も忠実に保っていた。
全国どこにでもありそうな、山間の鄙びた温泉街という表現がぴったりの町並みが続いている。
これなら朝食だけにして夕食は温泉街をぶらぶら歩いて探してもよかったかもしれない。
まぁ、遠征中は日中に尋常じゃないほど歩くので、夜はあまり出歩きたくないのだけれど。
そんな昭和な温泉街で、明らかに異質な存在感を放つのが老舗旅館の「油屋」である。
元禄元年創業、「元禄旅籠」の異名を持つのも納得な佇まい。
ちなみに、千と千尋の神隠しの「油屋」のモデルになった説があるそうだ。
まぁ、これは道後温泉本館を筆頭に全国各地で耳にする話なので、真偽の程は不明である。
湯原に宿を取ろうとしたときにもちろん油屋が第一候補に上がったわけだが、GWに一人だと断られるか、仮に行けたとしてものすごい金額になることは間違いないだろうと踏んで早々に除外した。
そこまで遠くもないし、また閑散期の週末にでも行けばいいやと思っている。
ちなみに、このときお世話になった「さつき荘」さんは食事は美味しかったし温泉も新鮮な湯がかけ流しで申し分なかったし総じて満足だった。
ここから翌朝。
前日は砂湯までの目抜き通りをぶらぶらしたので、朝は路地裏を彷徨うことにした。
観光客に扮する必要もない、言わばこっちがメインイベントである。
なんだかんだでそこそこ集客力のある温泉地なので、手つかずの古い建物や廃墟に近いような代物はメイン通りから逸れないとないだろうと思っていたが、やはり中心部から少し外れたほうが味のある町並みは残っていた。
うーん、渋い。
スナックも追いやられるように裏手に数軒点在していた。
これもスナック。
スナックと旅館で計3ヶ所鑑札を発見。
予想外の収穫だった。
この橋の先が、目抜き通りの一本裏側。
ここまでにしとこうかな。
生きたオオサンショウウオが見られる「はんざきセンター」も近くにあるので興味のある方はどうぞ。
ちなみに“はんざき”とは、「半分に裂かれても生きてそう…」から来ているオオサンショウウオの異名である。
そんな不死身キャラじゃねーよ!って当人たちは思ってそうだけど。
おしまい。
[訪問日:2021年5月2日]
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