四国路旅はじめ。坂出、沖湛甫にあった遊郭跡を眺める

香川県
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今日から新シリーズということで、まぁ相変わらず1年前なんですが2019年末~年明けに敢行した車旅の話をつらつらと。

 

当時、関西に移って3年半。
目標としてきた全都道府県記事公開も達成し、それまで遠かった山陰、山陽、四国、九州にもそれなりに足を運んで来たわけなんですが、まだ行ってないエリアや行きたい場所がぽつぽつと点在してきたので年末年始を使ってまとめて行ったろうと。

そんなわけで、西日本総集編などと銘打って四国~九州北部~山陽を攻めることに決めたのがこのときの旅。

旅の始まりは四国の玄関口、うどん県の坂出と相成った。

金刀比羅宮

香川では、筆者が“路地裏の師”と慕うまち歩きの大先輩に各地を案内してもらった。(その節は大変お世話になりました)
坂出で合流し、うどんを食べたあとに連れて行ってもらったのが同地にあった遊郭の跡地である。

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沖湛甫遊郭跡

坂出北ICの近くに、「沖湛甫(おきたんぽ)」と呼ばれる場所がある。
坂出港の発祥とされる江戸時代に整備された船溜まりで、現在は正面に築港地区を望む運河のような感じになっている。

ここに遊郭があったそうだ。

 

『全国遊廓案内』によれば5軒50人と、かなり小さな遊里であったようだ。
現在はと言えば、名残と呼べそうな建物が辛うじて残る程度に過ぎない閑静な住宅街だった。

例えばビジネス旅館があったり。

こんな建物があったり。

角地の建物

坂出港は、江戸時代から塩の積み出し港として栄えた。
古くから製塩業が盛んな土地だったのだ。

昭和初期頃からは商港として発展していき、その後の港湾開発で今では「番の州臨海工業団地」と呼ばれるコンビナートになっている。
これは瀬戸大橋から四国入りしたことがあればよくわかる話だと思う。

港町として栄えた歴史。遊郭ができたのもごく自然な成り行きだったのだろう。

裏手は公園だった。

もうひとつ、名残と思しき建物が残っていた。
左手の更地にもかつては妓楼然とした廃屋があったようだがすでに取り壊されて何もなかった。

それ以外、痕跡と呼べるものを探すのは難しそうだった。

坂出市のホームページによれば、昭和21年の南海地震で

沖湛甫(おきたんぽ。現在の築港町)南岸に並んでいた遊郭も,その大半が被害を受けました。

とのようだ。

それ以上のことはよくわからないので、この話はこの辺で終わらせようと思う。

今回の旅はかなりの長丁場になると思うので、ごゆるりとお付き合いいただければと・・

[訪問日:2019年12月28日]


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