智頭宿からくねくねした山道をクルマで登ること約10分。
トンネルを抜けた先に「板井原」という山村集落がある。
いや、ここに限っては“限界集落”と呼んだほうが妥当かもしれない。
そういう場所である。
集落へは車で入ることはできず、トンネル先に集落用の駐車場がある。
ここから10分ほど、「六尺道」という名のこんな道を歩いて向かうことになる。
舗装されてはいるが、豪雪地帯ゆえ冬に行くのはやめたほうがいいだろう。
標高430m、赤波川に沿うように位置する板井原集落は、15世紀末には成立していたと考えられているほど歴史があり、平家落人の隠れ里とも言われている。
先ほど通ってきた板井原トンネルが開通したのは昭和42年で、それまでは麓と行き来する手段は徒歩しかなかったほどの文字通りの「陸の孤島」だった。
耕作地が少ないため、江戸時代以降、炭焼きや養蚕で生計を立てながら暮らしてきたと言う。
トンネルが開通してから過疎化が進み、20数戸いた住民も現在ではわずか数世帯のみとなっているそうだ。
放っておけばいつかは廃村になっていたであろう板井原集落ではあるが、自動車が入れなかったこともあり、周囲の自然環境と調和した農村集落の景観が優れた歴史的風致を形成して・・うんぬんというおなじみの理由から平成16(2004)年に伝統的建造物群保存地区に選定された。
え?そんなん知らんけど・・
って思ったら、国ではなく鳥取県が選定したものなんだとか。
頭に“重要”が付くのは文化庁がお墨付きを与えた地区だけど、その前に市町村(ここの場合県になるようだけど)が概要やら範囲を決めてるんですね。
ただね、板井原を国の重伝建と勘違いして紹介しているサイトもあったし、表現がちょっと紛らわしいかな、と。
ところで、板井原には集落がもうひとつ存在した。
この六尺道をさらに登るとやがて鳥取市へ入る。
鳥取市側に「杉森」という集落があったが、1975年に集団離村して廃村となっている。
なので、今現在板井原集落と言うともっぱら伝建地区になっているこの板井原を指すそうだ。
六尺道が赤波川を渡るあたりで集落の外れを迎えた。
ではそろそろ集落内を見て回ることにしよう。
集落内には110棟あまりの建物があり、住宅になっている23棟は江戸から昭和初期までに建てられたもの、それ以外も多くは養蚕が盛んだった昭和40年以前のものだと言う。
気抜き窓が、2階が養蚕室であったことを物語っている。
江戸時代の地割をそのまま残す、模範的な“山村集落の原風景”。
板井原はしばしばそう讃えられるそうだ。
古色蒼然とした集落内は、人ひとり歩いていない。
ほとんどの主屋が無住なのだろうと思われた。
小学校の分校があったぐらいなのだ。
養蚕が盛んだった時代は相応の人口を数えたのだろう。
板井原ふるさと館。
集落内の資料や写真を展示する施設のようだが開いてなさそうだった。
保存をやめたら、あっという間に廃村へと転がり落ちてしまうだろう。
目に見える集落の光景は、それぐらいの危うさを湛えていた。
2020年5月にオープンした古民家カフェ「和佳〜のどか〜」。
かつては「歩とり」という古民家カフェだったが、経営者が変わって再びオープンしたそうだ。
時間があったら珈琲一杯でも飲みたかった。
明治末期に建てられた「藤原家住宅」。
川向こうで見た苔むした茅葺屋根が実はこの藤原家。
めし こーひー 火間土
小さく「日のみ」と書いてある。
たぶん、普段は町場に住んでるオーナーが週末だけ来られるとかなんでしょうね。
奥へ行くに連れ、段々と凄いことになってきた。
手入れされているところと放置されているところのギャップが大きい。
維持管理の担い手すらいなくなってしまった家屋もそれなりにあるのだろう。
こんな山奥に人の営みがある。
その事実に思いを巡らせるとき、これからの人口減少社会において今後こういう場所はどんどん消滅していってしまうだろう。
そう思わざるを得ない。
日本の原風景のような板井原集落。
保存地区という看板を背負った、箱庭のようなこの小さな集落が、このまま美しい姿を未来へ繋げていくことを願ってやまない。
そして願わくばまたいつか、この場所に足を運んでみようと思う。
[訪問日:2021年9月20日]
コメント