歴史の道百選。因幡街道の宿場町「智頭宿」の町並みが素晴らしかった

鳥取県
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奈良時代から畿内(だいたい京阪神)と因幡(鳥取)を結ぶ道であり続けた因幡街道。
若桜」に立ち寄った往路同様もちろん復路もこの街道を通ることになるわけであるが、帰りは『智頭往来』と呼ばれる“元祖”因幡街道から帰った。

で、ぶらり途中下車の旅じゃないけど帰りは大原宿の3つ先の「智頭(ちづ)宿」に立ち寄った。
智頭町は鳥取県のほぼ最果て、岡山との県境近くに位置する中山間地域で、冬の降雪量が多いことで知られるまちである。

かつての智頭宿は、町の中心部を東西に貫く国道373号線、そのやや北側に並行する旧街道沿いに見られる。
観光駐車場にクルマを停め、東端の「上町」から散策を開始した。

興雲寺

智頭宿は鳥取藩が参勤交代の際に泊まったことと、因幡街道と備前街道の追分でもあったことで藩内最大の宿場町として栄えた。

そしてその名残は、想像以上に今なおしっかりと残っていた。

町並みが残ったのは、戸倉峠を越えて若桜を通る「若桜往来」が因幡街道の新道として整備された結果智頭往来が徐々に衰退していったことに因るが、新しいほうの若桜宿が重伝建に選定されるとは何とも皮肉な話だと思う。

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石谷家住宅

そんな智頭宿最大の見どころと言えるのが重文にも指定されている「石谷家住宅」。

石谷家は江戸時代から藩の御用商人であり大地主であった家柄。
明治以降は地主経営や山林経営などを手がけ、地域の発展に大きく貢献した。
この屋敷は大正8年から約10年かけて改築したもので、3,000坪という途方もない広さを有している。

まぁ、時間なかったから入らなかったんだけど。。

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智頭消防団本分団屯所

石谷家住宅の目の前に建つ「智頭消防団本分団屯所」。

1941(昭和16年)に建てられたこの洋風建築は、今も消防団の施設として現役で使われている。
2000年には登録有形文化財に。

中は見学可能なのでせっかくなので上がってみた。
外装とは打って変わり、内装はいたって普通の感じでしたw

二階の窓から石谷家住宅を眺める。
こうして見るとめちゃくちゃでかいな…。

智頭宿は緩やかな坂道になっていて、鳥取方面のほうが下がっている。
普通に考えたら“上方”を基準とするんだろうけど、ひょっとしたら「上町」「下町」は標高が関係していたのかな?なんて想像してみるのも悪くない。

その先のT字路でずいぶんと古そうな道標を発見した。

みぎ ひめじ大坂 ひだり 鳥とり

と書かれている。
ここが津山城下へ向かう備前街道と因幡街道の結節点なのだ。

T字路の角地に建つ「米原家住宅」。
こちらも登録有形文化財。

「杉玉工房」と書かれた古民家の登場で、なんかやたら杉玉を吊るした家が多いなぁと思っていた理由が判明した。
智頭は「智頭杉」なるブランドがあるほど昔から林業が盛んな土地で、そのPRを兼ねて杉玉制作をひとつの売りにしているそうだ。

モダンな外観のこちらは、大正時代に役場として使われていた「下町公民館」(登録有形文化財)。

江戸末期、安政6(1859)年創業の造り酒屋「諏訪酒造」さん。
ここで自分用にひやおろしを一本購入。

一旦区切ります。

(2ページ目へ続く)

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