ここんとこ徳島の話を書いてないなと思っていたが、なんと最後の記事から3年半も経っていて今さらながら驚いた。
ちょこちょこ行っていたつもりだったが、たぶん新規でまち歩きをしていなかったのだろう。
そんな久しぶりの徳島ネタは、徳島市からもほど近い吉野川市の「鴨島」となった。
3泊4日の日程で四国へふらっと遊びに行った際に、このブログでも何度か登場している「路地裏の師匠」と久しぶりに再会して鴨島を案内してもらった。
正直それまでは名前すら知らない街だった。
駅の正面からは「駅前通り」という商店街が伸びている。
歴史のありそうな食堂や喫茶店が営業しており、この街のセンスの良さを感じさせる。
旭通り
駅前通りの一本西側にはほぼ並行する形で「旭通り」なる商店街が。
と言っても商店街の面影はほとんどないに等しく、アーチがなければ誰もここが商店街だと思いもしないような通りだった。
通りで唯一の見どころとも言えるのがこちらの「さくら旅館」さん。
いつから営業しているのだろうか。戦前と言われても不思議ではないほどの風格を漂わせている。
そしてここで思わず目を見張った「料理店」鑑札。
しかも円形と長方形の・・・二枚鑑札…だと…?
実は徳島のを見たのはこれが初めてだった。
銀座商店街
駅前通りの東側が「銀座通り」。
「銀座商店街」と書かれた味のあるアーケードが始まっていた。
そう、駅前からちょうどフォークのように3本の道が伸びていて、それがすべて商店街という驚愕の事実。
微妙にカーブして先が見通せなくなっている。
なんだ、この芸術点高すぎるアーケードは・・。
何を隠そう、鴨島はかつて製糸業で栄え、交通の要衝でもあったことからものすごい賑わいを見せた街だったのだ。
この銀座商店街も、すれ違う人の肩が触れ合うほど人で溢れていた時代があったのだそうだ。
そりゃあね。見たらわかるよ。
駅前にこんな立派なアーケードがあるんだもん。
初めて来た奴にもそれぐらいの想像はできる。
不意打ち的な更地の登場によって側面のトタンがお目見え。
いいなぁこれ。なんかもう永遠に見てられるレベルだ。
駅前通りとの連絡通路。
骨組みだけになった屋根が最高に渋い。
駅前通り、銀座通りに面する形で「funky time」なるネカフェがあった。(2012年に閉店)
漫画の他、卓球やビリヤード、カラオケなんかでも遊べたようだ。
今で言うラウンドワンのような感じだろう。
そう言えば、今はなき川崎の“電脳九龍城”「ウェアハウス」も似たような業態だった。
ありし日に、ビリヤードやダーツに興じた思い出も今では懐かしい。
あそこは大人の社交場だった。
話を戻そう。
銀座商店街は緩やかに蛇行しながら、忠実に昭和の幻景を映し出していた。
まさか暗渠だったわけでもあるまいし、あえて直線ではないところにある種の“あざとさ”を感じさせる。
フェードアウトするように脇道に逸れると、本物の撞球場が姿を現した。
二階の窓にはキューを模したと思われる棒状の何かが掛けられている。
アーケードも渋いけど、何より照明がいい。
できれば夜に来てみたかった。
そして、開業当時から残り続けているであろう看板たちが、欠かすことのできないピースとしてこの商店街に彩りを添えている。
夢のような商店街は300mほどで終わりを告げ、現実世界へと引き戻された。
素晴らしいアーケードだった。
(2ページ目へ続く)
コメント
旅館のおばちゃんが教えてくれたアールの建物は元は八百屋さんとのことでした。後に某SNSで当該の物件の一角でスナックを営むママにもコメントで昔のことを教えていただきました。
コメント待ってました!w
八百屋でしたか~。完全に忘却の彼方でした。
やはりメモっとかないとダメっすね。