古代から中世にかけて、熊野三山を詣るいわゆる熊野詣が流行り、参詣道である「熊野街道」が整備された。
その街道で、最も栄えた宿場のひとつだったのが大阪は泉南市にある信達宿(しんだちしゅく)である。
その信達宿を歩くために、通過以外では初めて泉南市を訪れた。
目的の場所は、和泉砂川駅から真っ直ぐ行った信達牧野の交差点あたりで見つかった。
この交差点を北へ進むと信達宿。今歩いている場所が旧熊野街道である。
住所で言うと泉南市信達牧野、信達市場にまたがるエリアとなる。
歩き出すとすぐに、当時の面影を感じさせる古い家屋がぽつぽつと現れた。
いくら大阪の最果てに近い泉南市と言っても、一応大阪だし駅も近いし古い建物なんてもうそんなに残ってないのでは?などと思っていた筆者の見立ては開始早々にしてもろくも崩れ去った。
この時が止まったかのようなゆるい空気感がどこまでも心地よい。
初夏の陽気も相まって、気分も上々である。
かつてどれほどの人たちがこの道を熊野へ向かったのであろう。
熊野街道は紀州街道や紀伊路とも言うが、海岸線の少し内側を南下しながら田辺まで行き、そこから中辺路で熊野三山へと至る。
京都から熊野本宮大社までは大体360kmぐらいあり、これを踏破するのはもはや小旅行では済まないレベルであるが、人々は自己の救済を求めて極楽浄土と呼ばれた熊野を1ヶ月かけて目指したのである。
ちなみに世界遺産にもなっている「熊野古道」は、基本的には熊野街道と同義である。
てくてく歩いて行くと、こんな案内板が目に留まった。
読んでみると、ここ信達を中心とした泉南地区は明治末期頃から石綿紡織産業の中心だった場所で、深刻なアスベスト被害が長年続いていたそうだ。
国を相手取った裁判に勝利したことを記念して建てられた石碑。
おそらく有名な話なのでしょうけど、恥ずかしながらまったく存じ上げませんでした。。
その少し先には、藤まつりで有名な信達宿の藤。
春にはさぞかしキレイな花を咲かせることでしょう。
土蔵が付属した民家。
信達宿の建物は入母屋造り&妻入りのものが多く、間口はそこまで広くないが奥行きが長いのが特徴とされている。
つまり、大体がこういう感じと思って頂ければ問題ない。
いつの間にか信達市場に入っていたようだ。
地名から察するに、おそらく昔は街道沿いで市が立っていたのだろう。
洋風の建物も一軒残っていた。
青空に古民家が映える。
信達宿の家屋の最たる特徴が、「角屋(つのや)」と呼ばれる一段低い屋根を持つ平入りの建物。主屋と隣接するように建てられており、庇部分と繋がっているようにも見える。
泉州地域でしか見られない独特の様式とのことなので、歩く際には是非チェックして頂ければ。
常夜灯が残っていた。
信達宿本陣跡「角谷家」。
紀州徳川家が参勤交代の際に泊まった本陣で、ゆかりの品や調度品など色々貴重なものが保存されているそうだ。
普段は非公開だが、藤まつりの期間中には特別公開されるので行くならそのときが狙い目かと。
このあたりで信達牧野の交差点から1kmほど。
なんだかんだよく歩いた。
商店が昔ながらの佇まいでなんだか嬉しくなる。
その先で見かけた琺瑯看板。
古い建物が段々減ってきたのでここらで切り上げることにした。
それなりの距離を歩いたとは言え、信達宿は思った以上に古い町家が多かった。
興味を持たれた方は、藤の時期に訪れてみてはいかがだろう。
[訪問日:2022年5月28日]























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