青森市で盛り場と言えば第三新興街が有名なわけで、そこさえ抑えとけばいいかな、と思ったりもするわけなんですが、せっかくはるばる青森まで来たのでついでに現在の旭町にあったという遊郭を訪ね歩いてきた。
青森の市街地からその名のごとく旭町通りを南下し、青い森鉄道の高架をくぐると目的地はもうすぐそこ。
渋い床屋さんの傍らに朽ちかけた標柱が建つ。そこには「宝来町入口」と書かれていた。
幅広の路地に名残を見る
『赤線跡を歩く』と同じ場所で一枚。右側、スナックらしきものがあった場所は更地になっている。
一見して痕跡は皆無だが、この無駄に広い路地がすべてを物語っている。
旧名を宝来町といったらしい旭町には、大火で全焼した柳原遊郭の代替地として明治43年(1910年)に遊郭が成立したそうだ。
戦後は赤線となり、おそらくその頃の呼称であろうが「森紅園」とも呼ばれていたという。
通りの突き当たりには転業旅館が一軒。
が、すでに廃業し会社のオフィスとして第三の人生を歩んでいた。
斜め前にも元旅館。
昭和5年の『全国遊廓案内』によれば、貸座敷21軒娼妓104名とあるので、そんなに広くないこの区画を考えると貸座敷だらけだったのでは、と思う。
このモリゾーハウスも遺構なのか。もはや原型すらわからん。
戦後は13軒に43名という規模だったそうで、いずれも減ってるのは空襲で焼けたから、とかかな。
このへんは推測にすぎないので真偽は不明です。
そしてもう一軒。唯一の現役旅館だったのがこちらの光陽館さん。
そのお隣には転業と思われるアパート。なぜそう思ったのかと言えば・・
中を覗くとおもむろにスナックが出てきたりしたもんで。
かつての不夜城も、現在は閑静な住宅街として平凡な日常を送っているようであった。
幅広な路地だけが、往時の繁栄を今に伝えていた。
[2015年8月12日]
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