戦前の妓楼に出会える街。八王子「田町遊郭」を訪ねる[1]

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東京都八王子市。「一応東京」という響きがふさわしい、23区より神奈川や山梨のほうが近いという都会と田舎のいいとこどりをした東京最果ての街である。

この八王子には明治時代に置かれた公許の遊郭、「田町遊郭」があった。

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田町遊郭の場所は、八王子駅から見るとほぼ真北、厳密には11時の方角となろうか。1.5kmほどあり、歩けば20分くらいかかる。

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浅川にかかる暁橋を目指して路地を北上していく。長年風雨に耐え続け煤けまくったボロアパートの一階には焼き鳥屋。ここまで来れば田町遊郭跡はもう目と鼻の先である。

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田んぼにできた新開地

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暁橋南詰の信号すぐ手前を左に折れると、いきなり道幅が倍になる。ここがかつての田町遊郭大門通り。

田町遊郭の起源は明治時代まで遡る。1897年(明治30年)に市内で大火が発生し、それが契機となって点在していた飯盛旅籠を一ヶ所に集めて遊郭とした。田んぼだった土地にできた新開地だったので田町だそうな。直球すぎるネーミングにぐうの音も出ません。

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『遊郭をみる』より当時の大門通りを引用。まったく持って同じ場所とは思えない。
ちなみに、田町遊郭は戦後こそRAAの指定地として進駐軍の慰安施設となるが、売防法完全施行の1958年(昭和33年)後は赤線としてはそこまで発展しなかったのか徐々に宅地化されていったとのことである。

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結果的にそれが奏功するわけであるが、カフェー建築が立ち並ぶような街にはならずに妓楼は妓楼のまま残り、空襲から逃れたことも幸いして都内で唯一戦前の妓楼が残る地として今日にいたっている。

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『赤線跡を歩く』にも載っている巨大な元妓楼。一階部分は一時期中華料理屋になっていたそうだがもはやそんな面影は感じられない。当時の屋号を「蓬萊」と言ったらしい。
写真を見ると当時は屋根が赤かったようであるが張り替えたのだろうか。

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一階の台所らしき窓には赤の面格子。屋根といい窓といい、現役時代は興奮色である赤が用いられていたんだろうな、と勝手に結論付けてみる。

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妓楼によく見られる丸い軒灯。
もうすっかり役目を終えて久しいが、かつては脂粉漂う遊女を頭上から妖しく照らしていたのだろうか。

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こっそり中を窺うと洗濯物が干してあった。どうやらアパートとして利用されているようであった。Googleマップを見ると「福田荘」となってるのでおそらく間違いないでしょう。

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裏門に回ってみた。
『赤線跡を歩く』に載っている頃は草木が生い茂って荒れ放題だったけど、塀がこしらえてあったりとだいぶ様子が異なっている。

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こちらも『赤線跡を歩く』と同じ場所から。これを見ればどれくらいの大店だったか一目瞭然である。
それにしてもでかい。一部に、かつて屋根が赤かった頃の名残が見て取れる。

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ここですね。拡大してみると、どうも上からトタンを打ち付けたようであることがわかる。
というかよく見ると側面も波板で覆われている。すきま風かはたまた雨漏りか。

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しつこくもう一枚。一階の勝手口付近が見える角度から。
それにしてもものすごい存在感。一体何部屋くらいあったのだろう。
さて、後編では残るもう一軒の遺構を紹介したいと思う。

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