因幡街道最大の宿場町として栄えた平福。
引き続き旧街道沿いの町並みを眺めてみよう。
表通りでは、格子戸や連子窓、なまこ壁の商家を見ることができる。
宿場町から市場町へ
宿場町として発展した平福は、明治以降は市場町としても賑わった。
坂越からの舟運により海産物などが集積したことで、約8割の家に屋号がつくほどの商家町となった。
格子戸、連子窓が残る商家
豪商の屋敷だったような佇まい
平福本陣跡
本陣跡の交差点がちょうど真ん中あたりになる。ここから先が北側。
袖うだつに鏝絵が見られる建物。
しかし、今でも住居として使われている建物は総じて傷みが激しい。大丈夫だろうか。
道の駅があるにしても、お店が少ない平福の町並み。
左側に見えるのが、数少ない一軒。
旧田住邸を利用した、農村カフェ「記憶」
散策の休憩にどうぞ。
かなり年季の入った建物
300年以上続く醤油の 「たつ乃屋本店」
独自の伝統製法を今も守り続けているそうな・・まさに秘伝のタレ。
脇の路地もすごい。江戸時代から1ミリも変わってなさそうな風景・・
かつては旅客や商人で溢れていた時代があったと思うと・・
ちなみに、平福が衰退したのは鉄道が敷設されなかったからというこれまたオーソドックスな理由。(智頭急行は1994年に開通。割と最近)
北側ではなまこ壁がよく見られる。
と言っても、二階の一部なんですね。ちょいなまこ的な感じ。
この緩やかなカーブを過ぎればゴール。
お疲れさまでした。
その先に、平福郷土館なるものがあるので併せてどうぞ。
大人200円。
以下、佐用町のページから引用。
江戸時代の町屋の代表的な建築様式を再現した資料館です。大屋根のけむり出し、くぐり戸のついたつりあげ大戸、葬式の際の出棺にだけ使う出口などの特徴があります。館内には、宿場を支えてきた商家の商い道具や民具類、利神城ゆかりの品々を展示しています。
城下町から宿場町、市場町へと変遷を遂げながら繁栄してきた因幡街道の平福。
往時の賑わいが偲ばれる、俗化を免れた閑かな町並みだった。
[訪問日:2017年7月30日]
コメント
たつ乃屋脇の路地はもう、たまりませんね(笑)
絶対、丁稚とお嬢さんが密会してますね。
関西の方は、東北より古い建物がわりとそのまま残っている感じがします。
東北は厳しい気候からか、補修跡が目立ったり、蔵の街と銘打っておきながら、かなり歯抜け状態だったりする印象が強いです。まぁ、生活優先と考えると仕方ないのですが。
こういう古い建物が、現役の建物として高い価値を持つという価値観が日本人に広まれば変わると思うのですが。要は京都の町家のように。
丁稚・・笑
なるほど・・東北はそういう事情があるのですね。関西の場合は所有者がいなくなって朽ちていくいわゆる空き家問題が結構ありますよ。
ならまちなんかはその典型です。
地区100年オーバーの建物に価値を感じるのは専門家と我々のような人ぐらいだと思います笑
これから空き家はもっと増えますよね。
でもこうした物件の魅力って、意外と多くの人たちが認めていると思います。
仙台でも、100年くらい経っていそうな木造住宅でオシャレな雑貨屋をやっている人がいたりしますし。ただ、そこに至るには諸々問題があるのでしょうね。
例えば、住む人がいなくなったけど、街を離れた持ち主が貸すのは嫌とか、貸せないと思っているとか。修理に金がかかるとか。もちろん、今までのような商売は成り立たないでしょう。それならIT系の企業の支店を呼ぶとか。今はネットで会議ができるので、地方の小都市にオフィスをつくる企業も出て来ました。街で補助金を出して、そういう企業を誘致するとか。
個人の財産だけど、街の財産としても考えて活用していく工夫があればと思うんですよね。
確かに、古民家の活用事例は色々なところで聞く話ですね。
とは言え、その街に最初から集客力が備わっているとかまちおこしに熱心とかでないと実現しにくいのではないかとは思います。
IT企業と言うのはよい視点ですね。
徳島の神山町のような前例もありますし、子育てや医療など環境面が充実してれば人はおのずと集まってきますよね。
行政と企業が知恵を出して協力し合わないと地方創生も難しい時代・・ではないかと思います。