赤穂の塩の積出港、兵庫の最果て「坂越」のまちなみ

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大石内蔵助率いる47名の赤穂浪士が、主君・浅野内匠頭の仇討ちで吉良上野介を討った赤穂事件。俗に言う「忠臣蔵」。

この赤穂事件の舞台となったのが兵庫県の最果てにある赤穂市である。

坂越浦

隣はもう岡山。播州赤穂が新快速の終点となっていることで、関西圏の人には馴染みがあるだろう。

不覚にも筆者は相生が岡山だと思っていたので、赤穂の位置がその相生の西側だったことに衝撃を覚えた。

その赤穂市に、坂越(さこし)という海に面した小さな港町がある。駅で言うと播州赤穂のひとつ手前にあたる。

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古いまちなみが残る

この坂越には、江戸時代の繁栄を今に伝える古いまちなみが残っている。室津から比較的近かったので、ちょっと足を伸ばして立ち寄ってみた。

江戸後期に建てられた「旧坂越浦会所」。赤穂藩主の茶屋として使われたという歴史を持つ。

伝統的建造物に挟まれた、秘密の抜け道のような石畳の路地。思わず「イイネ!」を押したくなるほど風情が素晴らしい。

坂越大道

海から真っ直ぐに伸びる大道(だいどう)と呼ばれるこの道が、坂越のまちなみのメインストリート。700mほど先の千種川に向かって続いている。

坂越港は江戸時代、西廻り航路の寄港地として発展。幕末からは「赤穂の塩」の積出港として明治時代まで栄えた。

奥藤酒造

高瀬舟によって塩田から運ばれた塩は、千種川の発着所から大八車に積み替えられ、この大道を通って坂越浦に運ばれた。

坂越の町並みが沿岸ではなく、海と川をつなぐ道沿いに形成されたのはこのあたりが理由になっていて、普通の港町にはあまり見られない特徴となっている。

大道沿いでひときわ目につく奥藤酒造は慶長6(1601)年創業、兵庫県下で二番目に古い酒蔵。

このやたら長い白壁が酒蔵。
ちなみに、6枚目の画像の右手に見える入母屋造りの巨大な商家が奥藤家の本家。

川に向かって左手、道の南側には厨子二階&虫籠窓の平入りが連続で並んでいる。
古い建物があるエリアはそんなに広くはないが、きちんと整備されたキレイな石畳の街並みは歩いていてとても気持ちがよかった。

坂越まち並み館

大道の中ほどにある坂越まち並み館。
大正時代に奥藤銀行の坂越支店として建てられたもの。(奥藤家は金融業も営んでいた)

以後、様々な地方銀行の支店として使われたのち、整備され平成6年にまち並み館としてオープン。

一階は展示室と資料室。

それと、奥藤銀行時代の金庫。開けて中を見せてもらった。
かなりの重厚感。古いアメリカ製のものらしい。

まち並み館前の路地から。こういう風にところどころ細い路地があってそのどれもに風情があるので歩いていて楽しかった。

ちなみに、道の北側はほとんどが奥藤家関連の建物。この大道、「奥藤ストリート」と呼んでもたぶんそんなに間違いじゃないと思うw

観光客が少ないのでゆったりのんびり散策できる坂越のまちなみ。
少し遠いが、京阪神エリアなら十分日帰りで来れる距離ではあるので牡蠣のシーズンにでも訪れてみてはどうだろう。

まち並み館のおばちゃんに教えてもらった、坂越浦とまちなみを一望できる高台のビュースポットに行ってみた。

眼下には、かつての賑わいを忘れた静かな入り江と小さな家並みが広がっていた。

[訪問日:2017年11月25日]


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