ニューワールド・オブ・レッドライン。富山の赤線跡を歩く

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「こんなにスカッと晴れた日は珍しいですよ」

レンタカー屋のおっさん曰く、富山は晴天率が低いそうだ。季節的なものも多分にありそうだが、兎にも角にも初日から好天に恵まれた旅は幸先の良いスタートとなった。

富山駅

そうだった。昨年は二度北陸を訪れたのだ。

一度目はGW。福井~石川を重点的に攻めた。二度目は11月。一度目で行けなかった富山と能登半島をメインに回った。

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新世界

大阪から夜行バスで富山入りし、車を調達。
手始めに向かったのが、市街地から少し外れた場所にある赤線跡、「新世界」だ。

ここは有名な観光スポットよろしく、履いて捨てたくなるほどWeb上に情報が転がっている。
今さら感も甚だしいけどまぁ現状確認ということで。

一年前だけど

富山市には、「破壊率99.5%」という100%を狙いに来たとしか思えない凄まじい空襲を受け、市街地のほとんどが焦土化したという知られざる暗黒の歴史がある。

戦前は、そこそこ規模の大きい遊郭や花街が存在したが、文字通り灰燼に帰してしまい、現在残るのは戦後にできた赤線の残滓ということになる。

「創立昭和24年」の文字を見ると、その歴史の一端に触れたような気になる。

着いた。ここが新世界、ニューワールドの入り口だ。

表に回ると、数々の修羅場をくぐり抜けてきたに違いないくすみきった長屋が二棟。

放たれるベテラン臭がすごい。

吸い込まれるようにその間に分け入ると、紛うことなき昭和が顔を出した。

復興から上を向く男たちの、行き場を失って同じように上を向く小さな戦士たち。彼らの戦意を器用に包み込む小さな空洞を求め、男たちは足繁く通った。

此処がそういう場所だったことを、物言わぬ目の前の風景が教えてくれていた。

だが、70年近いときが流れ、あまたの男女の物語も今や夢物語と化してしまったのだろう。
もはや役目を終えた場所であることもまた、目の前の風景が教えてくれていた。

いつまでこの姿をとどめてくれるだろうか。
平成から次の時代へ。歩んできた歴史と男女の匂いが染み付いた建物を、是非次代へ見せてやってほしいと願う次第である。

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延命地蔵尊

新世界のすぐそばに、ちょっとしたパワースポットがある。

その名も「延命地蔵尊」。頑張れば不老不死になれそうな胸熱な響きではないか。

何でも、万病に効くという名水が景気よくこんこんと湧き出ているのだ。
おいおい、マジかよ・・。

とりあえず10年分ぐらい持って帰りたい。

車で乗り付けてポリタンクに注ぎ込んでる猛者がいたんだけど、きっとこれがここのデフォルトなんだろう。

病気も治って水道代も浮いて一石二鳥・・これがほんとのご利益だったりしてね(笑)

おしまい。

[訪問日:2017年11月3日]


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