前夜から降り続く雨が、肌に突き刺さる無慈悲な北風の力を借りて旅人の生命を脅かそうとしていた。
– おまえは一体ここへ何しに来たのか –
自分は今、北国に問われている。
折れそうな心の波間で、軽い気持ちでこんな能登くんだりまで来てしまったことを僅かに悔いた。
石川県七尾市。能登半島の中央にあり、そして能登半島最大の都市。
あの有名な「加賀屋」を擁する和倉温泉のある都市である。
かつて常盤新地という遊郭があったこの街に、旅の道すがら寄ったのがことの始まり。七尾へ来たのは5年ぶりのことだった。
目的地は、七尾駅から北へ10分ほど歩いた文字通り「常盤町」と呼ばれる界隈にあった。
造り酒屋の布施酒造を目印に行けば見つけやすいだろう。
七尾町遊郭
昭和5年の『全国遊廓案内 』 によれば、妓楼28軒という規模だったとある。
対して、昭和30年の『全国女性街ガイド』には以下の記載が見られる。
能登半島もここまでくると風情があり、赤線二十七軒に百二十六名。富山、石川の貧農出が多く、客にだまされ安い。
これ以上まち歩きに向かない日もない荒天のもと、己の運のなさを呪いながら付近を歩いた。目につくのは酒蔵や古い食堂。
そして何度見てもロボットの顔にしか見えない看板建築。
これで終わりなら本当に何しに来たのか分からないところだった・・が、確かにここには遊里があった・・確信に足る一角が幸運にも未だ残っていた。
不自然に広い幅員。常盤新地の目抜き通りはおそらくここに違いない。
港町で海からも近い立地。海の男たちを相手にする遊里だったことは想像に難くない。
たから湯という銭湯があった。これも名残だろう。銭湯と質屋は色街につきものだ。
常盤新地ができたのは1868年。元々海だったところを埋め立てた新開地だったそうだ。
28軒という規模を考えると、目の前に横たわっていたのはかなり寂しいと言わざるを得ない現実だった。
居酒屋、スナック、そして料亭がぽつぽつあるだけで言われなければ色街だったことは判らなかったかもしれない。
その中でも、赤線時代を思わせるこちらが最も“らしい”建物だった。
灰色の空からは一定のリズムで冷たい雨が落ち、黒いアスファルトにぶつかって弾けた粒が足元を濡らし続けていた。
靴の中はとうにデロデロだった。
レンズの水滴を拭う気力もないまま写真を撮り続け、30分ほどの散策を終えた。
北国の試練を乗り越えるにはまだ精進が足りないのだろう。
そそくさと七尾を後にし、次なる街、輪島へと車を走らせた。
[訪問日:2017年11月4日]
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