輪島の旧赤線地帯『観音町』を歩く

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朝市、輪島塗で有名な石川県輪島市。古くは北前船の寄港地となった、日本海に開かれた港町でもある。

昔の漁師町には遊郭や花街等、色街がつきものだった。
輪島のそれは「観音町」というところで、朝市通りからもほど近い場所にある。

朝市通りを東に進むとどん突きに現れる「重蔵神社」の東側一帯が、旧観音町。現在の地名は河合町である。

遊郭のメインストリート。幅広の路地が街の由縁を今に伝える。

元妓楼と思われる居酒屋は、売物件になっていた。

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輪島町遊郭

昭和5年の『全国遊廓案内』によれば妓楼21軒という規模。
『全国女性街ガイド』(昭和30年)のほうにはやや詳らかな描写がある。

能登半島も突端近い輪島塗の色里は、荒っぽい酌婦が五十名ほど、大漁と雨を避けないと、あてに出来ない旅の衆は相手にされない。(後略)

気っ風のいい漁師はぱ~っと金を使うので、一見は漁師がいない日に行こうぜ、ということだろう。

付近を歩くとスナックや小料理屋の類が目に付き、比較的往時の名残をよくとどめている。

輪島では赤線地帯を「免許地」と呼んでいたそうで、それはここが遊郭時代に加賀藩指定のいわゆる公許だったことから来ているようだ。

輪島の遊郭は戦後は赤線になり、昭和33(1958)年の防止法で廃止された。

長い間海で暮らす漁師たちは、陸へ戻ると真っ先に女郎買いに走る。赤線がなくなった輪島では、現在で言うところの“暴行事件”が跡を絶たなかったそうで

夜八時頃、その免許地を歩いていた女性の教員が、免許地がなくなって頭にきたという直情径行の漁師に、近くの神社の境内に引っ張り込まれて強○されるという事件が発生した。

また、免許地の中の旅館の娘が、自室で寝ていたら、明け方、侵入してきた男に強○されるという事件もあった。

という壮絶なエピソードも。(『風俗の虫』松木たかし著)

近くの神社というのは、間違いなく重蔵神社のことであろう。

遊郭、赤線が“はけ口” として果たしてきた役割の大きさを思うとき、それを突如奪われた人々の戸惑いや混乱はやはり大小差はあれど全国各地どこでも等しくあったのだろう。

遊郭時代からある銭湯、末広湯。娼妓たちもここへ通っていたそうだ。

免許地は中央に公園を配したつくりになっており、豊橋の『東田園
』 や鳥取の『聚楽園』をどことなく彷彿とさせる。

そしてその公園の傍らに

ラスボス感ありあまる遺構が建っている。美しい意匠、観音町の白眉と言える建物だ。

保存状態も良く、今でも住宅として使われている。

そしてもう一軒。「観音町修養館」と書かれたこちらは旅館だろうか。

ネット上の情報の少なさに比例して期待値も小さかったのに、いざ来てみたら往時の建物、雰囲気がほとんど損なわれていないことに驚いた。

いつも先人にお世話になっている身なのに、今回に限ってはどうやら先人になってしまったようだ。

地方都市の裏通りにある何の変哲もないただの盛り場。

これほどまでに閑かな町。荒くれ者と荒っぽい酌婦たちが生身でぶつかり合った町。

目の前の風景をいくら眺めても、両者に共通項を見出すことはどう頑張っても無理そうだった。

どう見ても不自然な三階建は赤線時代の残党であろう。

ところどころ売物件の紙が貼ってあるのが気になった。建物が消えないことを祈るばかりである。

冬支度を始めた北国の空気に溶け合いながら、色街の面影を纏った街並みは安らかな余生を送っているように見えた。

朝市を訪れる観光客に、この町の存在を知る者は果たしてどれぐらいいるのだろうか。

観光気分で浮足立つ人々に紛れ、答えを持たない問いに思いを巡らせながら朝市通りを歩いた。

北国の冬は早い。

風の冷たい朝だった。

[訪問日:2017年11月5日]


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コメント

  1. maru より:

    通りの幅の広さが当時を物語るね
    この場所を取り上げるサイトは少ないから
    貴重なレポですね。

    • mast-mo より:

      そう言っていただけると嬉しいです。
      これからもこういう未踏の地を増やしていきたいですが、、あんまり多くはないですよね(苦笑