雲海に浮かぶ天空の城。
そのラピュタすぎるミステリアスな姿で人々を魅了し続け、「日本のマチュピチュ」などと喧伝されたことも手伝って大量に押し寄せた観光客のマナーの悪さが表面化。社会問題となったことが記憶に新しい、兵庫県朝来市の竹田城跡。
常にラピュタのイメージばかりに毒され、メディアやSNSによって刷り込まれてしまった人たちにあえて見てほしいのが足元にある城下町の町並みである。
JR播但線の竹田駅。
ラピュタを目指す者がまずはじめにたどり着くのがここだ。
駅のすぐ裏手にある、標高353mの古城山。天空の城はその頂にある。
いやいや、俺は車で行くよという人は「竹田まちなか観光駐車場」を利用しよう。そこから山のほうを向くと小さく石垣が見える。
…古文書にあったとおりだ。
だが、違う。今日はラピュタへ行くために来たのではない。
たぶんほとんど知られていないが天空の城には城下町がある
忘れていないだろうか?竹田城跡は「城」である。つまり、城下町というものが存在する。
そしてそれは、現代でも健在なのだ。
駅のすぐそばに観光案内所がある。その名も「情報館 天空の城」。
元造り酒屋の敷地内にあり、現在は「旧木村酒造場EN(えん)」としてホテル、レストラン、土産ショップなどを擁する複合施設となっている。
ここは、竹田に来たら絶対に立ち寄っておきたい場所である。
寺町通り
駅のすぐ裏手には、4軒の寺が立ち並ぶ城下町風情ありあまる通りがある。
「寺町通り」と呼ばれる600mの区間だ。
この体が金属なのか粘土なのか、それすら我々の科学力ではわからないのだよ
だが怯えることはない。こいつははじめから死んでいる。
4つの寺院には、ラピュタ王 竹田城主の墓や供養塔などがある。小川には錦鯉が泳ぎ、訪問者の目を楽しませてくれる。
言葉を慎みたまえ。君はラピュタ王の前にいるのだ
寺町通りには、ラピュタへと続く道の入口がある。シータが古いおまじないを唱えて開かれた 近年整備された新しい道だ。
なお、登れる時間は時期によって異なるので注意されたい。あと入山料が500円かかる。
ラピュタはタダでは上陸できないのだ。
見たまえ、この巨大な飛行石を。これこそラピュタの力の根源なのだ。
素晴らしい…700年もの間、王の帰りを待っていたのだ
冗談はこれぐらいにして、そろそろ駅前のメインストリートを見てみよう。
城下町を見る
伝統的な商家の建物が多く残っているのが駅の表側にある目抜き通り。
上の城などガラクタにすぎん。ラピュタの科学はすべてここに結晶しているのだ
竹田城は、関ヶ原の戦いの直後に家康の命によって城主が自刃させられ、江戸幕府の方針で廃城となった。
江戸時代の幕開けとともにラピュタは滅びたのだ。
城下町としての歴史は潰えたが、旧街道にあたるこの道には大正年間まで旅館、料理屋、茶屋などが軒を連ね賑わいを見せていた。
だが、賑わいも今は昔。町の特産品である家具屋と仏壇屋を除き、当時の店はなくなってしまったそうだ。
今ではもう、人通りの少ない閑かな町並みがただあるのみである。
立派なまちだったんだ・・
科学もずっと進んでいたのにどうして・・
商店はなくなれど、古い町家や商家の建物は今でもまぁまぁ残っている。
近年、竹田城がここまでの人気になったのにはもちろん理由がある。
ターニングポイントは、2006年に「日本百名城」に選ばれたことだ。
そして、地元写真家によって「雲海に浮かぶ天空の城」の写真が世に出るや否やブームに火が付き、その後の狂想曲は誰もが知るところとなっている。
ラピュタは滅びぬ!何度でもよみがえるさ!
ラピュタの力こそ、人類の夢だからだ
700年とまでは行かなかったが、本当に王の帰りを待っていたかのように400年の時を経て竹田城は蘇った。
天空に浮かぶ城。その姿はもとより、歴史を学ぶと本当にラピュタと符合する点が多くて実に興味深い。
城跡に登るのもいいが、歴史が薫る城下町、その町並みを眺めてみるのもまた一興と言えるだろう。
俄然興味が湧いてきた人は、早速竹田城へ行ってみよう!
・・40秒で支度しな!
完。
[訪問日:2017年9月10日]
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