別府や由布院のイメージが強い大分県。県庁所在地でありながら地味な存在の大分市に初めて足を運んだのは、「かんたん」なる遊郭跡を見に行くのが目的であった。
土地鑑がまったくない大分市で、無事に目的地にたどり着けるのか不安になりながら車を走らせていたところ、国道の地名板ではたと目が止まった。
めっちゃかんたんにたどり着けました。
なるほど・・「看板に偽りなし」とはこういうことを言うのかw
かんたん遊郭
JRの西大分駅から徒歩10分弱と言ったところだろうか。生石港町2丁目の一帯がかつて遊里があった場所だ。
すぐそばには西大分港がある土地柄。かんたんの名は、開きかかった蓮の花を意味する「菡萏」から来ている。
その昔、別府湾のことをその形から「菡萏湾」と言ったそうで、同様に港も「菡萏港」と呼ばれていた。
遊郭の呼び名はこれが由来になっているようだ。
地名には残ってないが、電柱には今も「カンタン」の文字があった。
港が開かれたのが明治17(1884)年。その流れでできたかんたん遊郭は、川と海と国道に囲まれたエリアにある。
地図を見ると漢字の「田」の形をしており、地割も実にわかりやすい。
色々簡単なんですねw
足を踏み入れた瞬間、元妓楼と思われる建物が視界に飛び込んできた。
遺構を見つけるのもかん(ry
のっけからこれである。二棟並んでいるが、瞬時に左側に目を奪われた。
うわああぁぁこれはすごい・・
こんなゴージャスな豆タイル物件は久しぶりに見た。はるばる大分まで来た甲斐があったってもんだ。
ディテールを観察すると、色の使い方に実に味がある。単色ではなく、ところどころアクセントカラーを散りばめている。
こっちはいわゆる「帰り口」だろうか。こそっと帰りたいだろうに…なんて自己主張の強い裏口なんだ。
向かいの遺構も素晴らしい。こっちはシックで落ち着いた色合い。
『全国遊廓案内』を見てみると、貸座敷が22軒、娼妓は190人いたそうだ。かなりの規模である。陰店は張らず写真、そして居稼ぎ制だったとある。
『全国女性街ガイド』のほうはどうかと言うと
赤線は、菡萏という変った名で西大分駅近く <大分交通のほうが便利> で廃港になった船着場。三十五軒に二百八名。花月、中川、松竹が代表的な店。
とある。
35軒という規模を考えるとずいぶん減った感はあるにせよ、総じてレベルの高い遺構が多い。
特にこれだけ豆タイルが残っているのは驚嘆に値する。
透かし彫りも見事。
アパートに転用された妓楼も残っていた。
ちなみに珍しくWikipediaにも遊郭の記述があって、昭和33年、売春防止法によって貸間や旅館に転業、その後多くが民家やアパートに転用されたり、解体され更地になったりした、と書かれている。
なるほど、大体ここの歴史が理解できた。
レンガ壁も在りし日の名残を思わせる。ちょっと低いけど飛田の「嘆きの壁」的なものだったんだろうか。
いや、この高さじゃ嘆く要素もないか・・w
色街の名残という意味ではこんなものもあった。
菡萏港は、マリーナ大分というヨットハーバーになっていた。
かつて、気晴らしにここから海を眺めた遊女もいたことだろう。昔日、海の男たちや遊客で溢れていたであろう港は、ずいぶんと静かで寂しいものだった。
[訪問日:2017年12月29日]
コメント
ここはまた、綺麗な遺構が残されていますね。
そうなんです。でも、少しずつ減ってきてはいるみたいなので行くなら早いほうがよいと思います。