鹿児島市内から北へ車を走らせること70km。熊本との県境、九州新幹線も停まる文字通り玄関口の役目を担うのが出水市(いずみし)である。
ここには薩摩藩最大の武家屋敷群が築かれた歴史があり、江戸時代の面影を残す町並みが今なお良好に残っている。
そう言えば、出水市って昔バイク旅で通ったことがあるんだよな。まさか観光目的でまた来ることになるとは・・わからんもんだ。
そんなわけで、出水麓歴史館裏手の駐車場に車を停め、ゆるっと散策にくり出した。
薩摩藩最大の外城
前回の知覧武家屋敷群の話で書いた通り、薩摩藩は「外城」と言う自治区を設けた。その数100以上。
その中でも最大規模だったのが、肥後との国境が近く“最重要拠点”と位置づけられたこの出水麓である。
出水麓が築かれたのは1600年頃。そこから30年もの歳月をかけ、起伏の多い丘陵地を整地し武家屋敷群がつくられた。
碁盤の目状の整然とした町並みは今なお健在。石垣や生垣、武家門らとともに歴史的風致を形成し、そんなこんなで1995年に「武家町」として重伝建(重要伝統的建造物群保存地区)にもなっている。
2008年の大河、『篤姫』のロケで使われた竹添邸は有料公開。
竹添家は出水麓の要職を務めた家で、今の建物は明治初期頃だそうな。
で、時間の都合で中は入ってないんだけど、裏に回ると庭が見える。
竹添邸のお隣が「税所邸」。上級郷士の一人で、郷士年寄の役目を務めていた。
※「郷士」:半農半士のこと。いわゆる二刀流のすごい武士。“動けるデブ”的に敬意を込めて言うなら“耕せる武士”。できる男感ハンパない。
江戸時代にタイムスリップ
一般公開されている竹添邸、税所邸、それに出水麓歴史館は保存地区の南西側にあり位置関係的に近い。
保存地区そのものは東西約700m、南北約800mとかなり広いがせっかく来たので運動がてらぶらぶら歩いてみよう。
小学校の前の通りが「仮屋馬場通り」。竹添邸、税所邸があるのが「竪馬場通り」。そして今いるのが「山崎馬場通り」。
その名から、乗馬の訓練を想定してつくられた道ということが見て取れる。
丸石(川原石)を積み上げた石垣と、目隠しの役目を果たす生垣。400年前からほとんど変わらずに当時の面影を今に伝えている。
ちなみに生垣は、外から中は見えないけど中から外は見ることができるレースカーテンのような機能を持っている。武家屋敷ならではのアイテムと言えよう。
こちらも篤姫のロケに使われた宮路邸。
※宮路邸は武家屋敷ホテルへ再生されました
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