白壁の蔵。風にそよぐ柳が、川面にさらさらと影を落とす。
倉敷美観地区。
観光でこの街へやって来る人は、十中八九、いや、おそらくそれ以上の人がここへ行き、満足して家路に着くことであろう。
だが、それだけでは残念ながら不十分である。
満点とは言えない。
駅前の大通りを挟んだ西側にある「川西町」。“もうひとつの美観地区”がここにある。
川西町へは、駅前から南へまっすぐ伸びる「一番街」を抜けるのが早そうだが、何も考えずに向かったらなぜか全然違うルートから行く格好となった。
水路沿いの道をまっすぐ進むと、やがてこんな不思議な建物に出会う。
集会所だそうだが、あまりそんな風にも見えない。
おそらくはこの掘割のような水路が異世界との結界の役目を担っていたのだろう。
ちょうど川西町と隣町との境界線となっている。
右手に見える白壁と黒塀は「蔵Pura 和膳 風 (くらぷーら わぜん ふう)」という和食料理店。
ここだけ見たら美観地区と間違えてもおかしくなさそうな風情である。
※こちらのお店は閉店したそうです
一番街のアーチをくぐると「竹の子」と言う郷土料理屋がある。
元料亭のような雰囲気だ。
倉敷市遊廓
おなじみ、『全国遊廓案内』(昭和5年)には「倉敷市遊廓」で記載がある。
明治四年に出来た色里で、貸座敷十七軒、娼妓は百十三人いたとある。
もと来た道を引き返すような角度で右手に折れると、二階の丸窓が異彩を放つ元転業旅館が顔を出す。
どうやらこの場所で間違いないようだ。
メインストリートだったと思われる路地を歩き出すと、ほほぉ、そうかそうかと頷きたくなるような建物が立て続けに登場する。
素晴らしい・・
お隣も言わずもがなである。
「二十才にならないお方は入場お断りします」
危ない危ない・・ギリギリセーフだ(大嘘)
嬉々として細い路地に迷い込むと、不意打ち的にこんな廃屋が登場し
瞬く間に胸がときめいた。
この町がまだ“色”を持っていた頃、ここがどういう使われ方をしていたのか。
想像するだけでゾクゾクしないだろうか。
“表の美観地区”は、言わば美意識に速球を投げ込んでくる本格派。
対して“裏の美観地区”は、絶対打てない変化球で打者を翻弄する技巧派。
何が言いたいか。
つまり、こういうことだ。
美人は3日で飽きる。
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