江戸時代に捕鯨で栄えた歴史を持つ長崎・的山大島。
このあたりで島の歴史についても少し触れてみようと思う。
神浦地区の歴史
実はこれが前回の平戸編と大いに関係があって、鎖国によりオランダ商館を出島に移された平戸藩は貿易という大きな財源を失ってしまうことに。
新たな財源が必要になって始めたのが捕鯨。
当時、「鯨1頭獲れば7浦潤う」と言われたほど夢のあるビジネスだったそうだ。
閑話休題。
やっと離島っぽい景色が出てきたのでしばし絶景をお楽しみください。
ここ神浦地区は入り江の奥まった場所に位置しており、海面も穏やかそのもの。
あれ。今何気なく地図見てて気づいたんだけど・・
入り江の形が鯨のしっぽそのまんまだ(;゚д゚)ァ….
これ、我ながら大発見なんじゃ・・
さて、今度は入り江の西側へ。
入り江の左右それぞれに集落があるので、全部見ようとしたら結局ぐるっと一周するようなルートになると思う。
話を歴史に戻そう。
捕鯨は藩の財政と庶民の生活を大いに助け、ここ神浦には鯨の解体場などの関連設備が設けられ重要な拠点として機能した。
しかしながら、乱獲によって捕鯨は18世紀には衰退してしまい、その後は町家が建てられて今の町並みの原型のようなものが出来上がった。
そんなわけで、廃業後のだいたい江戸中期以降の町家が数多く残っているというのが現在の神浦地区。
ちなみに町割りもほぼ当時のままだそう。
捕鯨が廃れたあとは普通の漁業が盛んになり、明治期の神浦は多くの漁船が集まる港町として栄えた。
なので、今残ってる町並みはいわゆる「漁師町」のそれということになろうか。
この建物だけ毛色が違った。
塀が料亭みたいに艶やか。
賑やかだった時代は料亭もあったそうなので、もしかしたらそういうことかも。
これも明治前期か。江戸時代のは案外少なかったのかな。
最後は入り江から注ぐ水路沿いに歩いて行く。
あぁ、これは空き家だろうな。
いかにもエマージェンシーな雰囲気が漂ってる。
ごめんなさい。ちょっとだけ中を拝見…。
あぁ。これもう取り壊しは時間の問題かな。
※2023年夏に再訪したところなくなっていました
そんなわけで、最初の案内板に書いてあった「町並み散策道路」なるものに従って集落を一周してきた。
特異な意匠や大型の建物などはまったくなく、あるのは地味な町家と静かな町並みのみ。
賑わっていた時代の面影は望むべくもないが、素朴な町並みは遠路からでも訪れる価値のあるものだと、素直にそう思えた。
さらば的山大島。
まず行くのが大変なところではあるが、非日常感を味わえる離島の旅はこの上なく格別なものである。
あるいは一泊して、島全体を満喫するのも悪くないかもしれない。
[訪問日:2018年8月14日]
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