炭鉱の栄華伝えるアーケード、田川市『後藤寺銀天街』

最近何の前触れもなしに福岡の話を書き始めましたが、年末年始に九州に行ったので、しばらく福岡の話が続きます。

えぇ。まぁ・・一年前のコトなんですけどね(笑)

薄れつつある記憶を、熱湯をぶっかける勢いで呼び覚ましながらぼちぼち書いていきます・・

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炭鉱のまち田川

門司港が石炭の輸出港として栄えた話をしたので、その流れで炭鉱の話をしようと思う。

その石炭を産出した筑豊炭田はあまりにも有名だが、中でも最大の炭鉱とも言われた「三井田川炭鉱」があったのが現在の田川市である。

と言っても、見に来たのは田川後藤寺駅前にあるアーケード商店街。

炭鉱の遺跡や資料館にも惹かれたけど、商店街のほうが興味が勝ったので今回は行かず。

人がいない・・

駅の西側、線路に並行するように伸びる、南北で呼び名が変わる商店街。
南側の「上本町商店街」から歩いてみた。

ほぼシャッター・・

今まで田川市なんて行ったこともなくて、白状すると筑豊の炭鉱があったことさえ知らなかった。
でも名前だけは知ってた。だって有名でしょ。

修羅の国

いわゆる福岡の代名詞だけど、田川あたりが一番ヤバいってどこかで聞いたことがあった。(田川の人ごめんなさい)

予備知識がそれしかないってどうなんだよって我ながらツッコみたくなったけど、実は田川はあの「炭坑節」の発祥だと後から知った。

おぉ、炭坑節なら知ってるぞ。そうだったのか。

ふと脇道に目をやると、こんなそそられる路地があった。こんなん見たら何が何でも入るしかないでしょ。

「天上崩落」「通行止め」「危険」

『天井』の字が違う気がするけどなぁ・・まぁいっか。

社交ダンス・・とな

どう見ても閉鎖されてる雰囲気・・

全体通してやけにシャッターが目についたのは、歩いたのが12/30だししかも日曜だったからこんなもんなんかな、とか思ってたけど、どうも普段からこんなもんらしい。

アーケードや照明が立派だったから完全に騙されてた。

この商店街がいつからあるのかはよくわからないけど、「三井田川炭鉱」は1964(昭和39)年に閉山。昭和45年には炭鉱の灯が消え、基幹産業を失った田川はその後みるみる衰退していった。

駅前の商店街がシャッターだらけなのも頷ける。

なにわの台所「黒門市場」を彷彿とさせる立派な提灯が、常に人であふれる本家との格差をひときわ鮮明に際立たせていた。

ところどころ店は開いてるのに本当に人がいなかった。

北側に抜けたら「田川ごとうじ銀天街」と名が変わっていた。
佇まいは完全に昭和のそれだけど、入口だけ見たらずいぶん立派だよなぁ。

右を向くと正面が田川後藤寺駅。
一応ここ、二線が乗り入れるターミナル駅のはずなんですが。なんなのこの閑散っぷり。

帰りはアーケードの東にある路地から戻った。
やっぱり人がいないし、どことなくまちが沈んでいる。

栄えた歴史を持つまちは、凋落がドラスティックであればあるほどしみじみと過ぎ去った時間を偲ぶことができる。

田川の後藤寺は、初めて来たはずなのになんとも郷愁の漂うまちだった。

[訪問日:2018年12月30日]



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