どうしてこうなった・・大牟田の『新銀座商店街』があまりにもカオスだった

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新しい年を迎えた。

それは平成最後の年だった。
そのとき、筆者は福岡の大牟田にいた。

 

世間的にはめでたい日とされる元旦だろうが、旅人にとっては365分の1に過ぎない。基本的にそんな感覚で生きている。

人と同じ生き方ができない自分にとって、2019年はこれ以上ない最高の滑り出しとなった。

 

大牟田新銀座商店街

 

これほど、新年一発目に歩くのにふさわしい場所はなかったからだ。

 

前夜の旅館からは少し距離があったので、クルマを最寄りのコインパーキングに滑り込ませた。

すでに目の前が目的の場所だった。

素晴らしい・・久しぶりに魂が震えるような高揚感を覚えた。

TVの前で雑煮すすりながら平和ボケしてる人たちの目ん玉かっぽじって見せてやりたいぐらいの強烈なインプレッションである。

しかし、こんなのはまだまだ序章に過ぎなかった。

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1st Stage

新銀座商店街はその先から始まる。大きく3つのステージに分かれている。

RPGで例えるなら、ラスボスが三人出てくるぐらいの難易度の高さだと思っていただければ幸いである。

見たまえ、このシャッター街を!

これぞ・・至高の昭和遺産だ。

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2nd Stage

2つ目も負けず劣らずヤバい。「ふれあい新銀座」と書かれているが、この状況で一体何をどうふれ合えと言うのか。

優に半世紀を超え、堂に入った佇まいのシャッター。温かみのある木造アーケード。そして、いまだに穴も開かず通行人を雨から守り続ける波板の屋根。

そうか・・

このとき、“ふれあい”の意味を完全に理解した。

人と同じで、やはり見た目だけで判断してはいけなかったのだ。

せっかくこんな素晴らしい景色を独占しているのだ。
しっかり観察しなければもったいない。

その中で、最も目についたのがこの「タキ美容室」。

特殊美顔術・・しかも無料・・

書いてある文言もフォントのテイストも、完全に怪しい霊感商法のそれでしかない。

何でもありだった古きよき時代。昭和とはそういう時代だったと思う。

 

さて、いきなりこの新銀座を訪れたわけではあるが、そもそも大牟田というのはどういう街なのか。

裸電球が渋すぎて泣ける

大牟田は、炭鉱で栄えた町である。三池炭鉱が世界遺産になっているのでご存知の方も多いだろう。
大牟田には、三池炭鉱の「宮原坑(みやのはらこう)」があった。

1898(明治31)年に第一立坑、その三年後に第二立坑が開削。明治から大正にかけて年間40~50万トンの産出量を誇り、宮原坑は日本の近代化に大きく貢献した。

宮原坑は昭和6(1931)年に閉鉱してしまうが、このアーケードは間違いなく炭鉱で潤った時代の残照であろう。

今では商店街としての役目も終え、筆者のような古いもの好きの変人たちの目を楽しませるためにそこに存在している。

それが新銀座商店街の現在である。

(2ページ目へ続く)

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