別府・北部旅館街で元遊郭の「旅館すずめ」に泊まった話

別府へ行こうとしたそもそもの動機だった。

 

およそひと月前。
3泊4日の熊本~長崎方面の旅を終え、長崎空港のロビーから予約の電話をかけた。

幸い部屋は空いており、無事予約を取ることができた。
短い時間ではあったが、人柄がにじみ出たような温和な声に、自然とこちらも穏やかな気持ちになっていた。

何より、旅のあらゆる手配がWebで完結する時代にわざわざ電話をかけるという行為、それ自体がすでに大いなる醍醐味と言っていいと思う。

 

こうして11月頭に別府へ行くことが決まった。

別府では、温泉と路地裏探訪で一日が終わった。
戦災に遭わなかったまちは古い建物や入り組んだ路地裏に事欠かない。

正直一日でも足りないぐらいだった。

結局日没まで歩き続け、観光案内所のおばちゃんに教えてもらった店に入った。

「郷土料理と地酒を置いてる店教えてくれませんか」

どこのまちに行ったときも、だいたいこうやって訊くようにしている。
これですべてが事足りるし、これ以上望むこともないからだ。

 

別府と言えば、新鮮な海の幸ととり天である。
郷土の逸品を、大分の酒と共に嗜む。この旅のクライマックスと言ってもいい至福の時間だった。

最高な気分の余韻に浸りながら、軽やかな足取りで宿へ向かった。

 

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旅館すゞめ、いざ中へ

「こんばんは」

「は~い」と言いながら現れた女将は、電話の声の印象そのままの優しそうな老媼だった。

名前を告げ、早速部屋に案内してもらった。

通されたのは2階の一番奥、通りに面した部屋だった。

ドキドキしながら部屋に入ると、どことなくアンティークな印象が漂う洋間だった。
一度宿帳を取りに階下に戻った女将さんは足が悪く、階段の移動が難儀そうだった。

 

仕事終わってそのまま夜行バスで来て一日中歩き回ったことを、滲む疲労感が思い出させてくれた。
でも、遅くなりそうだったので温泉に寄らずに来たこともあって、女将さんに「これから温泉行ってきます」と告げて一度外へ出た。

気を利かせて野菜ジュースを一本持ってきてくれた。
こういう気遣いは本当に嬉しい。

 

温泉は、駅前高等温泉と迷った末に不老泉まで行った。徒歩10分ぐらいだった。
一眼レフを持ち出し、帰りに別府屈指の盛り場、「八坂通り」あたりをふらふらと歩きながらスナップをパシャパシャと撮った。

重いのでまち歩きのときは長年ミラーレス&広角レンズしか使っていなかったのだが、最近練習がてら50mm単焦点を頻繁に持ち出すようになった。自分の中ではこれは相当な変化で、真面目に写真に取り組むようになった・・ってことでいいほうの変化と捉えている。

まぁ・・おかげで二刀流になったので撮るのが大変になったのと時間がかかるようになった、って弊害も出てるんですけどね。。

 

さっぱりしたところで宿に戻った。ようやく長い一日が終わった。

浴衣に着替えようとしたところで気がついた。
なんと・・すゞめの浴衣は、オリジナルなのである。

小さな旅館でこういうのはちょっと珍しい。
ちょっぴり得した気分になった。

お待ちかね。館内を散策

ご飯食べて温泉にも入った。
あとはもう寝るだけ・・じゃない。

まだ館内の写真を撮っていなかった。

造作が古いことは外観からもそれはわかる。
ただ、内部のそれはただ古さを感じるというより、どことなく懐かしさを覚えるようなものだった。

少なくとも、小学生ぐらいの記憶を手繰り寄せると容易に触れることができる。
館内は、そんな空気感に包まれていた。

唯一、元遊郭だった事実を伝えていたのはこの円窓ぐらいだっただろうか。

建具や調度品を見回しても、ぱっと見で他に名残と呼べそうなものは見当たらなかったように思う。

他の部屋も見てみたい気持ちはあったけれど、どこが空いてるか訊くのを忘れたのでそのまま階下へ。

小学生ぐらいの記憶を手繰り寄せると、あったなぁこういう公衆電話。
家の固定電話と公衆電話しかなかった時代を思い出す。懐かしい。

すゞめのお風呂は温泉ではない。それは女将さんも仰っていた。
あるいは温泉だったら外に出ることもなかったかもなぁ、なんて思いながら扉を開けた。

圧巻の豆タイル。

 

すげぇ…

 

温泉じゃなくても、ここでよかったやん。

壁はもっとすごかった。

さながら、銭湯の富士山を思わせるような優美なタイル絵がびっしりと壁を埋め尽くしていた。

息を、呑んだ。

そのまま右を向くと、妖しげな光線を浴びた何ともグラマラスな洗面台が視界に飛び込んできた。

これは・・。

トイレもすごかった。

便座がふたつ。左側のは、昔のウォッシュレットだそうだ。
これを見て「洗浄器具?」と穿った見方をしたのはきっと筆者だけではないと思う。

時間も遅かったので、女将さんを起こさないように静かに散策してからそっと眠りについた。

 

 

あくる朝。
8時前にはここを出ないといけなかったので少ししか話を伺うことができなかったが、少しだけ立ち話をした。

すゞめのお母さんは昭和13年生まれの81歳。
「ひじ」ってところのご出身で、このときはわからなかったがあとで別府の隣にある「日出町」のことだと理解した。

戦時中の何もない時代、相当なご苦労をされたそうだ。

 

旅館のことも伺った。
旅館になってからは50年。その前(つまり遊郭)が20年。
まぁこれは正確なものではなくアバウトな数字だと思うが、つまり70年ぐらいは経っている建物ということになろう。

昔は8~9軒ぐらいあったが、今営業してる旅館は2軒だけ。
跡継ぎがいなくて売ったり子供のところに行ったり、一軒、また一軒となくなって・・。
残されるほうとしてはずいぶん寂しかっただろうと思う。

旅館になった当時、遊郭時代の女の子が遊びに来てくれたりした、とそんなエピソードも聞かせてくれた。賑やかだったわね、と懐古する表情からはやはり一抹の寂しさのようなものが感じられた。

 

「いつまでできるかわからないけど、できるうちは続けるつもり」

 

まだまだお元気そうで話し方も矍鑠としてらしたのですぐに、ということはないだろう。
でも、あと10年、20年も・・というわけにはいかないことぐらいは理解できる。

お母さんは花がお好きな方で、それは注意して見ればすぐわかるほど随所に現れていた。
同じように花が大好きな自分の母親と重なる部分があった。

玄関前には、ちょうどツワブキの花が咲いていた。

 

遊郭から形を変えた北部旅館街。
60年近い歴史を紡いできたその場所も、そう遠くない未来、単なる歴史上の出来事になってしまうだろう。

ここに色街があった証は、自分の人生の一コマにこの日確かに刻まれた。来れてよかった。

 

お母さんがいつまでも元気でいられること、そしてすゞめが変わらずに営業を続けられることを心の底から願いながら、旅館街を後にした。

 

そのまま、一度も振り返ることなくアーチをくぐり抜けた。

[宿泊日:2019年11月]


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