軍艦島へは、島の南東部にあるドルフィン桟橋から上陸する。というか上陸できる場所がここしかない。
足を踏み入れるや否や文字通りの廃墟が視界を埋め尽くし、程なくして現実感がなくなってくる。
まるでラピュタのような廃墟群
正面奥に見えるのが1958年(昭和33年)築、鉄筋コンクリート製の70号棟。端島小中学校跡である。
元々6階建だったものを、生徒が増えたためか7階部分を増築するという離れ業をやってのけた学校である。そして、卒業生は実にのべ6千人もいると言われている。
その左側に見えるのが65号棟(鉱員の社宅)。
1916年(大正5年)に造られた鉱員社宅の30号棟。
驚く事なかれ、日本最古の鉄筋コンクリート建築なのだ。来年で100歳。満身創痍な見てくれも1世紀の時を刻んだ証。
しかし廃墟っぷりがラピュタの世界まんまである。まったくどこのどいつだ・・バルスを唱えた輩は。
だたっ広い空間は、貯炭場の跡。端島は北東~南西に伸びる細長い島であるが、大ざっぱに言えば、縦で半分に分け、上半分が住宅、下半分が炭鉱関連施設となる。
高台に見えるのが貯水槽。湧水のない端島では、初めは海水を蒸留して使用していたが、のちに給水船で運んだ水をこの貯水槽に蓄え使用していた。
横にある灯台は、閉山の翌年、島の灯りがなくなったので建てられたもので「肥前端島灯台」と言う。
この赤レンガの廃墟が総合事務所の跡。すさまじい崩落により一部しか残っていないので外観がまったくわからない。
この中に炭鉱マンたちが使用する共同浴場があったそうだが、この屋根のなさ具合と遺跡のような佇まいから、脳内イメージ図は完全にテルマエ・ロマエのそれである。
右側の階段が第二竪坑への入口。炭鉱マンたちは、仕事を終えこの階段を上るとき命の大切さをかみしめていたそうだ。それほど、炭鉱での作業は死と隣り合わせの過酷なものだったのであろう。
本来なら瓦礫の山を駆け上がり「いやっふー♪」とかやりたいところではあるが、それができないのがもどかしい。
見学客は、それ用に設えた通路からしか見学が許されない。ちなみに乗船時、注意事項が記載された誓約書にサインすることが義務付けられているので、柵を乗り越えたりしたら普通にアウトである。
総合事務所の横にある会議室の跡。今にも崩れそうで、まったくもって会議が捗りそうにない会議室である。
仕上工場跡。後ろに見えるのが第3見学広場。ドルフィン桟橋から上陸した先には、通路に沿って第1~第3まで見学広場が設置されている。
見学時間はだいたい1時間程度と若干物足りなさが残るものの、以前は上陸さえできなかったことを思うと、間近で見れるだけでも十分であろう。
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