小綺麗だけどどこかレトロな感じが人々を魅了する大阪「空堀商店街」。
欲を言えば、これでアーケードが木造だったりボロボロだったりしたらパーフェクトだったんだけど、一応ここ「大阪市中央区」なのでそこまで望むのはさすがに酷な話だろうと思う。
こちらの「土居」という店はかなり有名な昆布の老舗らしい。
昆布か・・そう言えば買ったことないかも。
こんな虫籠窓がさらっと残ってるあたり、やはり最近の建物ではないな、と思わせてくれる。
坂道の謎にせまる
さて、筆者は空堀商店街の西から東に向かって歩いて行ったが、東に進むに連れて緩やかな上り坂になっていた。
この理由を解説しよう。
大阪城がある場所ははるか昔、海に突き出た半島の先っぽだったという話をご存知だろうか。
今大阪城に行くと、「え?なんで秀吉はこんな場所に城作ったの?猿なの?」などとつい口走ってしまいそうになるが、元々は三方を海に囲まれた天然の要害だったのだ。
ちなみに、大阪城が築城された頃は陸地化もだいぶ進み、それでも河川と湿地帯に囲まれていたので防衛面では堅固だったと言える。
この半島だった部分は現在「上町台地」と呼ばれ、周囲より若干土地が高くなっているのである。
空堀商店街を東へ向かうと、上町台地のほうに向かって行くので緩やかな上り坂になっていたというわけだ。
まとめると、空堀商店街は「非戦災地区」「大阪城の遺構」「上町台地」と大阪の歴史がぎゅっと詰まったすごい商店街だった。
まだあった。
商店街を東へ抜けた先(谷町筋と並行する一本東側の路地)が旧熊野街道で、碑が立っていた。
いわゆる“熊野詣”のための参詣道で、淀川を下って天満の八軒家から陸路へ、そして和歌山まで続く街道である。
昔の人はここを歩いて熊野本宮大社まで詣ったのか、と考えると実に感慨深い。(決して真似したいとは思わないけど)
角地には、行列ができるほどの人気店らしい『大衆食堂スタンド そのだ』。
ここまでが空堀商店街ということになる。
さ、戻ろか。
空堀商店街の愛称は“はいからほり”。
なるほど。“ハイカラ”と“からほり”をかけてるんだろうな。
アーケードそのものよりも、周辺の路地や建物にこそレンズを向けたくなる。
空堀商店街は、カメラを持って歩くと楽しい商店街だった。
[訪問日:2019年6月4日]
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