どんよりした空の下、古都の“失楽園”をこの目で確かめるため、早朝から歩き回った或る夏の日。
目の前に現れたのは、元遊郭と思われる五条楽園最大のお茶屋、三友楼。
一見してラスボス感半端ないけど、生活感がまるで感じられない。辺りは静寂に包まれている。
いきなり肩透かしを食らったのがこれ。『二友』になってますやん・・w
誰がやったか知らないけど面白いことやるなぁ。
しかしながら、唐破風の上に刻まれた屋号は豪華絢爛。
格式の高さがびしばし伝わってくる。
※三友楼は2021年秋に取り壊されました
高瀬川を挟んで斜向かいにあるのが、お茶屋『羽衣』。
まるで表情を固く閉ざしているかのようである。本来がそうであったように、今では図らずも一見を拒んでいるかのように見える。
赤線の遺構たち
さらに散策を続ける。すだれを垂らした物件が多いことが、何か秘密めいたものを感じさせる。
1958年(昭和33年)の売防法完全施行後は、10~15分もあればすべての路地を歩き尽くせるほどの広さにお茶屋、置屋、旅館などが約130軒も軒を連ね、芸妓も100人ほどいたそうである。規模的にはかなり大きな花街だったことが窺える。
芸妓をお茶屋に呼んで朝まで騒ぐことはできないので、同じシマの中に旅館があったのはそのためだと言う。
旅館に“座敷”を移し、その後なぜか折良く『愛』が芽生え自由恋愛に発展するという、まぁこのあたりの建前は現代の風俗と同じである。
今までは主に高瀬川の東側を見てきたので、今度は西側を見て行こうと思う。
すぐやんだが、運悪くこのあたりで急に雨が降ってきたことを付け加えておく。
川のたもとに建つ碑と榎の老木は、『源融(みなもとのとおる) 河原院跡』
源融と言えば、光源氏のモデルと言われた人物で、後に平等院となる別邸を建てたことで知られる。
そんな由緒ある土地がまさかちょんの間街になろうとは、当の本人もさぞかし遺憾であろう。
さて、川の西側にはここ五条楽園で三本の指に入る美しい遺構が残されている。
これが今回どうしても見たかった物件のひとつ。
豪快に穿たれた丸窓には、ステンドグラスがあしらわれている。玄関周りにはストライプのタイル模様。
全体的にシックで落ち着いた配色。何とも上品な佇まいである。
『赤線跡を歩く』の2~3頁に見開きでばーんと出てくるので、当サイトの読者であれば目にしたことのある方もいるのではないだろうか。
ピンクや黄緑と言った原色系の豆タイルはけっこうドギツイ印象を与えるけど、この建物は本当に目に優しい。
京都で100年以上親しまれている仁丹の看板も健在。最近この看板、転売目的で盗難被害が続出しているそうですよ。
なんでも20万円くらいの値がつくとかつかないとか。
おまけ画像。いないと思うけどタイルファンに捧ぐ渾身の一枚w
お隣には立派な町家。この二棟が並ぶとものすごい迫力。
今紹介した遺構の目の前に、遊女と桜の花びらが描かれた美しいステンドグラスを持つ、誰もが賛辞を惜しまなかった有名な建物があったのだが、今は駐車場になってしまっている。
嗚呼、諸行無常とはこのことだろうか。
(3ページ目へ続く)
コメント
はじめまして、赤線めぐりを趣味とする20代、そしてタイルファンです。笑
一度行ったきりの五条楽園ですが、建物も残っているようで安心しました。
特に「ザ・カフェー建築」と記載のあるお宅は、数あるカフェー建築が消えていく中、原型を保ったまま大事に住まわれているようで大好きです。
またブログ、遊びに来させてください。
nicoさん
こんにちは。コメントありがとうございます。
カフェー建築は全国的に見ても数が減っていますよね。大事にされているお宅を見ると愛着を感じて嬉しくなります。
つたない文章ですが是非またいらしてください。
遠方(他地方)から来られる方へ
関西人(京都に近い場所の)は皆知ってることですが、
京都は表向き歴史に彩られた素敵な街となってますが、
ディープゾーンやアンダーゾーンが非常に多い街です。
観光地気分で気軽に撮ると怒られる場所も多いので
気をつけて下さい。
地元の方の貴重なご意見ありがとうございます。
光と闇は表裏一体と言いましょうか。
長い歴史を有するということは、色々なことがあるということの裏返しだと思います。
色街を歩くときは、なるべく目立たないように行動するのがコツですね。
花房観音の『楽園』(2014年刊)を読んで、ググったらここにたどり着きました。
大変よく分かりました。ありがとうございます。
ご訪問ありがとうございます!お役に立ててよかったです。
[…] うんとディープな旧五条楽園エリア*にスポットライトが! […]