倉敷の玉島町と言えば、レトロ愛好家の間では“聖地”と呼べるほど有名なところだ。
「通町商店街」を中心に、現代の奇跡としか言えない町並みが今も濃密に残っている。(なお筆者は一度行こうとしたものの渋滞に阻まれて涙を飲んだ過去がある)
ただ、古い町並みのほうはまだ行けてないけど、川を挟んで反対側にあった遊郭跡なら見に行ったことがある。
その場所はもう少し河口寄りの、「玉島柏島」なるところ。
昔は「天満町」で今でも郵便局の名にその名残を見ることができる。
その玉島天満郵便局から東へ伸びる路地に遊里があった。
おなじみ『全国遊廓案内』には「玉島町遊廓」で紹介されている。
三層楼は健在だった
ここもまた有名で結構な方が訪れているので、ほぼ現状確認のつもりだったけど、おぉまだあったぞ…よかった。
紋章が示す通りではあるんだけど、この建物、天理教の教会として第二の人生を歩んだみたいで。
なかなか珍しい転用のされ方。
それにしても三階建てはやっぱり存在感が違いますね。
目の前に建つとそのでかさにただただ圧倒される。
でもね。横から見ると・・薄いんです。。
ちょっとだけ前言撤回してイイデスカw
そして驚くべきことに、右手に階段があってその先には鳥居が。
鳥居の先には小さな祠があった。天満宮らしい。“天満宮だった”と言ったほうがしっくり来るけど、「天満町」の地名は十中八九ここから来ているものと思われる。
しかしまぁ、神社の参道が妓楼の真横とはこれいかに。
それにしても、まじまじと見ると建物もだいぶキテますな。
「玉島町遊廓」は、貸座敷13軒に娼妓約50人と言う規模だったようだ。
熊本、鹿児島、香川の女が多かった、ともある。
玉島は元々海だったところで、江戸時代に備中松山藩主が干拓を行い港を整備。
以後、玉島港は北前船の寄港地として賑わいを見せることになり、遊郭ができたのもごく自然な流れだったことが想像できる。
美容院が一軒。その当時からあったのかな、髪結として。
なんて想像を働かせてみる。
この玉島町は、今でこそ倉敷だけど、昔は本当に玉島町で戦後は市制が敷かれて玉島市だった時代もあって、昭和42年に倉敷に編入されて今にいたるそうな。
色々あったんですね。
さて、玉島町にはもう一軒著名な建物があってこちらもまだ健在だった。
傍目にも、空き家になってどれぐらいだろう・・ってレベルの傷み方をしている。ちょっと心配だ。
家へ帰る馴染客を、娼妓がここから笑顔で見送ったりしたんだろうか。
次はいつ会えるだろう…と切なさを胸に秘めながら。
それとわかる建物は二軒だけだったけど、全体的に古い建物が多くてこの通り、普通にまち歩きを楽しめる。
旧天満町公会堂。
なまこ壁をあしらった白壁土蔵はなんと三階建て。
美観地区でもなかなかお目にかかれないぐらいの風格。
隣もすごい。
実はこの通りって街道筋だったとか?
そしてお向かいさん。
あまり声を大にして言えないけど、この商家群のほうがはるかに見応えがあった…。
こうして玉島町のことを思い出しながら書いてたら行きたい思いがふつふつとくすぶり始めたので、また計画しよう。なんとか今年中には行けますように。
※2年後の2021年5月にようやく行けました!
[訪問日:2019年6月28日]
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