素通りするのはもったいない。繁栄の歴史が息づく、熊本の『松合白壁土蔵群』

ちょうど1年ほど前に、4日間ほど熊本~長崎方面へ出かけた。
ずいぶんと盛りだくさんな旅だったので、思い出しながら少しずつ綴っていこうと思う。

夜行バスで熊本入りした初日は、すぐに足を調達。天草方面へとクルマを走らせた。

初めに立ち寄ったのが宇土半島の南側にある、宇城市の「松合」という港町である。
平成の大合併までは不知火町なる自治体だった由縁で「宇城市不知火町松合」とフルネールで呼ばれることが多い。

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白壁土蔵の町並み

松合ビジターセンター

松合は古くから漁業が盛んな土地で、肥後藩の要港であった。
江戸から明治にかけては酒や醤油の醸造業が興り、さらには廻船業でも栄えたまちである。

旧浜米屋

案内板に『土蔵白壁の町』と書かれているとおり、ここは白壁の蔵造りの建物が多いがこれにはれっきとした理由がある。

松合は火事が多く、特に江戸時代、文政9年~天保2年の5年間にかけて四度も大火が発生してのべ871戸が焼失。

防火対策を徹底的に追求したまちづくりを進める過程で、なまこ壁風の漆喰塗籠めの町家や蔵が多く建てられたのである。

建物が密集していたことで火災が起きたことを受け、道路を拡大して「火除道」を作るなど家造りとまちづくりを同時に進めていった。

同時期に3ヶ所の船溜まりを設けて港も本格的に整備。
今に残る町筋の原型が出来上がった。

そしてこちらが創業文政10(1827)年、「阿波屋」の屋号で商いを始めた醤油や味噌の醸造元、松合食品株式会社。

阿波屋の「ア」に屋根をかぶせた「ヤマア」の愛称で親しまれている。

こちらは明治から終戦まで郵便局、戦後は文房具店だった建物。旧屋号は「錦屋」。
現在、松合郷土資料館として一般開放されている。

今歩いているメインストリートが旧富岡往還。
いわゆる昔の幹線道路で、今は県道になっている。

明治時代に幹線が海側に移り(現国道266号)、そのおかげでこうして古い町並みが残った。
と言うか、町並みを残すためにそうしたようも気もする。

3ヶ所のうち真ん中にある「仲西船溜まり」。
今は国道の向こう側に漁港があるが、船溜まりは今も現役で使われているようだ。

白壁と言う意味では統一感はあるものの、建物は妻入から平入、屋根も切妻から入母屋まで結構バラエティに富んでいて面白い。

見どころはまだまだありそうだ。じっくりと見ていくことにしよう。

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