奈良三大遊郭のひとつ、大和郡山市にある洞泉寺遊郭跡を訪ね歩いた2014年夏。
そこには、小規模ながらも往時の妓楼がきちんと手入れされて残されている、古き良き時代の残照があった。
旧川本邸
路地の突き当たり、正面に見える三階建てが旧川本家住宅。
大正13年(1924年)竣工、今年90歳の卒寿を迎えた元妓楼は、平成11年に市が買い取って保存されている。
ここもまたでかすぎて全景を捉えきれない。。
洞泉寺遊郭の全体的な特徴として、ひたすら細い千本格子がよく見られる。
市によると、個人の見学は不可、団体に限り応相談とある。
過去には内見できるイベントが催されたこともあるみたいだけど、あー入ってみたい。
※旧川本邸は2018年1月から「町家物語館」として一般公開されています
中に入ると、1階が川本家の居室、2階が8部屋、3階が9部屋の客間があるらしく、廊下にはガス灯の器具が残されているとか。
確かに大正時代と言えばガス灯。でも屋内への配管は大変だったろうなぁ。
洞泉寺遊郭は昭和33年(1958年)の売防法施行後は文字通り廃業。
廃業後、川本邸はアパートとして利用された歴史もあるとか。ずいぶん贅沢な賃貸で羨ましい限りである。
廊下は真っ暗だが、客間は格子から柔らかな光が漏れ入って来るらしい。さぞ優しく奥ゆかしげな空間であったことだろう。
遊女との想い出も3割増になること請け合いである。
東岡町の後に来ると、荒れ放題だった向こうとのギャップが激しく際立ってどこか可笑しくもある。
同じ三大遊郭でも、かたや暴力団の息がかかった強制売●街となって摘発、遺構は荒れ果て街の空気さえ淀んでいる有り様。
かたや今でも住居として大切に使用され、そのうちのひとつは市によって保全され街全体の雰囲気に心地よさすら感じられる。
あぁ、どうしてこうなった・・。
旧川本邸の隣には大信寺なるお寺があるが、少しだけ境内にお邪魔させてもらうと「いいもの」を見ることができる。
それがこれ。
「赤線跡を歩く」にしっかり紹介されているので、この業界では有名な部類に入ると思われるこのハートマーク。
すでに大正時代に現代と同じ意味合いを持っていたのかしらと考えると、ちょっと胸に来るものがある。
正直、洞泉寺にはこれを見に来たと言っても過言ではないほどのディープインパクト。
はるばる奈良まで来た甲斐があったってもんだ。
実は、前夜は奈良で合流した友人とホテルで呑んでたせいで豪快に寝坊してしまい、朝食も食べずに飛び出して郡山新地、洞泉寺ともに超巻きで歩き倒してギリギリオンスケに戻したという裏話がありまして。
ただでさえ旅の最中は歩き通しで疲れがちなのに、夜更かししちゃいけませんね。特に夏場は寝不足じゃ倒れかねない。
失われた若さを痛感した奈良の思い出であった。
[訪問日:2014年7月21日]
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