AM8時半
黄金市場からクルマで5分もかからないぐらいの到津(いとうづ)市場に着いた。
電車の場合はJRの南小倉駅が最寄りとなるだろうか。歩いて15分と言ったところだろう。
現地に着くと、幹線から一本入った路地に年季の入った木造家屋が密集していた。
おいおい、市場よりこっちのほうが見応えあるんじゃないのか…
筆者の大好物、ストライクゾーンど真ん中とはまさにこんな風景だ。
強振すればバックスクリーンを越えるのは間違いないだろう。
一見、廃屋にしか見えないような木造バラック。
しかし驚くのはまだ早い。
実は、これがお目当ての到津市場なのだ。
戦前のアーケード
その先に市場の入口がある。
1939(昭和14)年にできた到津市場。
80年を超えた、紛うことなき戦前系アーケードである。
ときは1月2日の早朝。もちろん開いてる店があるわけはないが、右手の板戸は現役の青果店だそうだ。
最初の角を折れると壮絶な光景が目に飛び込んで来た。
そして凄まじく暗い。
※写真はかなり明るめに補正している
戦前というのも納得の佇まい。
市場で震えるような高揚感を覚えたのなんて一体いつぶりだろうか。
あまりに暗すぎるのでストロボを焚いた。
雰囲気が変わってしまうが致し方ない。
全国的にもなかなかお目にかかれないような超絶レトロアーケード。
だが、北九州という街においてはそれは別段珍しくもないのである。
北九州には古い市場が多いが、もちろん近年消えてしまったものだって相応にある。
まず、絶対数が多いのだ。
理由は明快で、それほどの市場を必要とするぐらい人口が多かったのである。
製鉄業と石炭の積み出し港があり、工業都市として急成長した北九州には多くの労働者が集まった。
北九州は空襲があったので時代的には戦後すぐぐらいのものが多いように思えるが、この到津市場のように戦前のものだって中にはある。(中には被災して建て替えたものなんかもあるかもしれない)
そんなわけで北九州には木造の古い市場が多い。
このときは、四国がメインの旅だったのになかば強引に北九州に来たのでこの日しか取れなかった。
1日でそれなりに回ったけど、すべて回りきるにはあと2日ぐらいは必要だった。
いつなくなっても不思議じゃないようなところもあるので、今年中にはまた行きたいなぁ…。
昔はさぞ賑わっていたんだろう。古いことはともかく、シャッターだらけになってしまった現状にはやはり寂しさを感じずにはいられない。
この到津市場、入口の青果店とあと肉屋が一軒営業しているという情報を聞いた。
以前どっかの市場でも同じことを思ったけど、長いこと一緒にやって来た仲間が一軒、また一軒と店を閉じて行って自分だけが残されるってのは結構堪えるんじゃないかなぁ…。
もし自分が同じ境遇に置かれたら、何を拠り所にして頑張るんだろうか。
勝手ながらそんなことを考えてしまった。
「いつまでも残ってほしい」と願うのは、所詮部外者のエゴなんじゃないか。
最近ちょっとそんな風に思うようになってきた。
色んな事情があるだろうし、当事者にしかわからない思いだってある。
そういうものなのかもしれない。
[訪問日:2020年1月2日]
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