豊後高田(ぶんごたかだ)という町をご存知だろうか。
大分県北部、国東半島の北西部にある・・九州の人でもあまり馴染みがないんじゃなかろうか、という平凡な地方都市である。
この豊後高田にある、「昭和の町」という昭和30年代のレトロな町並みを再現した観光スポットを見てきたというのが今回の話。
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実はここ、2011年の夏に一度来たことがあっておよそ6年半ぶりの再訪。
動機は、しっかり写真撮ってなかったのと、そんな前のネタを記事にしたくなかったから。そんなところ。
まずは駅通り商店街から
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昭和の町にはいくつかの通りがあるんだけど、まずは駐車場から一番近い駅通り。
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昭和40年に廃線になった宇佐参宮線の豊後高田駅。現在はバスターミナル。
元々駅前商店街だったから今でも駅通り。なるほど。アイ・アンダースタンド。
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久しぶりに来たけどそんな変わってないなぁ。あぁそう言えばここでメシ食ったな・・
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それがこの昭和3年から営業してる大寅屋さん。
昭和55年より値上げをしていません
消費税もサービスしています
昔ながらの味と値段を守っています
当時、そう書いてあった奇跡の食堂。
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うん、やっぱり値上がってない気がするな。かけうどん200円ですよ!信じられます?
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で、これがそのとき食べたハヤシライス。食べログ見たら400円。あーたぶんそれぐらいだった。
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電気屋さんが渋すぎて泣ける。
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カフェ・バーと書かれたブルヴァールさんは
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昔懐かし、学校給食がコンセプトのお店。コッペパンとかビン牛乳が普通に出てくるんです。金属のトレーで。
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昭和28年頃の白黒テレビ。洗濯機、冷蔵庫とともに三種の神器と呼ばれた夢の商品。
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ショーウィンドウだけでお腹いっぱいになりそうな駅通り商店街。
でも、まだこんなもんは序の口。
新町通り商店街
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続いて新町通り。雰囲気的にはここが「昭和の町」のメイン通り。
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ところで、この「昭和の町」がどういう経緯で誕生したのかについて簡単に触れておこう。
豊後高田市は、戦前まではロウソクの原料となるハゼの木の産地として相当に潤っていた。ところが、昭和30年代頃を境に徐々に衰退していき、財政も苦しくなっていく。
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地主たちが嫌がってマンションなどを建てなかったため、税収が少なかったのも理由のひとつだと言う。
昭和40年には先述のとおり鉄道もなくなり、衰退の一途をたどっていくなか、窮余の策として2001年に町おこしの一環で始まったのがこの「昭和の町」というわけだ。
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ケガの功名と言えばその通りというか、建て替えをしなかったことで逆に古い町並みがそのまま残り、今こうして町おこしに使われているんだからしぶといと言うかがめついと言うか、まぁそういうところだよ、と。
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以上の話は、後述する『駄菓子屋の夢博物館』の館長さんに前回来たときに伺った話である。
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近年、「昭和レトロ」をまちおこしに起用する自治体や地域、商店街はそれこそ枚挙に暇がないが、その先駆者として成功を収めたのがこの豊後高田というわけだ。
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筆者がこのまちのことを知ったのはとある業界向けの受験ジャーナル的な雑誌で、かれこれもう10年ぐらい前の話だったと思う。
…脱線してしまったのでそろそろ本筋へ戻ろう。
(2ページ目へ続く)
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