旧連歌町遊郭の西側を南北に走る通りが「中川通り」。
通りを越えた先が、何やら戦後赤線として浮名を流したエリアなのだそうだ。
そんなわけで、むしろここから先が本番である。
「平和食堂」なる焼肉屋があった。なぜ焼肉屋なのに食堂なのか。
読み方は「へいわ」でいいのだろうか。それとも「ピンフ」だろうか。
意味深なことをつぶやいたのは、このあたりがただの旧赤線ではないからである。
多くを語らずとも、この手の場所に興味がある方であればとうに心得ているはずだ。
まだ時間はある。焦ることはない。
デザートは最後にとっておこう。
周縁部を歩けば、盛り場の系譜を継いだ妖しい路地裏がまだ残っていた。
港の労働者で活況を呈していた時代、夜な夜な男たちの威勢のいい声が路地にこだましていたことであろう。
今はどうなのだろうか。
石炭の積み出し港でなくなった若松の夜の街に、そこまでの需要があるとは思えない。
伝説の色街
恥ずかしながらここに行く前までまったく知らなかったのだが、若松には知る人ぞ知る、超アングラ系の伝説的な色街があったそうだ。
“某タワー系”の老舗サイトにもレポートが上がっているのでご存じの方も多いだろう。
過去形なのか現在形なのかは残念ながらわからなかった。
だが、その場所に立ったとき、過去形でもこれはありえないだろうと思った。
崩落した家屋。
身を寄せ合うように、満身創痍のバラック長屋群がギリギリのところで命をつなぎとめていた。
ここが色街…だと…?
なんてこった・・信じられん・・
こんな魔境のような場所が若松にあったとは。
せめてあと5年早く色街歩きを始めていれば、また違った景色を見ることができたかもしれない。
この日若松がリスト入りを果たしたが、そういう場所が全国にいくつかある。
砂を噛むような思いである。
このあたり、今は中川町だがかつては土井町と言ったそうだ。
否。
とても現役には見えなかったが、結論づけるのは早計だ。
そう言及するのは自分の目で確かめてからにしよう。
ここまでバラック長屋がまとまって残っていること自体珍しいが、しかもそこが高名なディープゾーンであると。
さすがは“黒いダイヤ”でのし上がったまち。
底知れぬ潜在能力を見せつけられ、ただただ敬服するしかなかった。
そう言えば昭和の作家、火野葦平をご存知だろうか。
ここ若松出身で、若松を舞台にした代表作『花と龍』には遊郭も登場する。
興味のある方は是非読んでみてほしい。
活字が苦手な方は映画もある。
以上。若松編終了。
[訪問日:2020年1月2日]
コメント
お久しぶりです。若松の特集ありがとうございます。私自身は、コロナコロナでこの2年近く行けてません。まあ、行っても親戚の家に集まっているだけで、街中散策するようなこともないんですけどね。
火野葦平、知ってる人少ないんでしょうねぇ〜。読んでみたら面白いんですけどね。金鍋に入ったら、火野葦平がよく原稿を書いていた『葦平の間』というのがあります。金鍋内部は本当に大正ロマン!料理の味も素晴らしいので、是非今度は入ってみられて下さいませ。
ご無沙汰しております~。
まぁ、私も行ったのはコロナ禍以前で今頃かよ…って感じではありますが・・。
金鍋、素晴らしそうですね!
是非生きてるうちに一度は入ってみたいものです^^