地図から消された毒ガスの島、大久野島。
前編に引き続き、島に残る関連施設を見ていこう。
長浦毒ガス貯蔵庫跡
ここは島で最も大きな貯蔵庫で、100トンのタンクが6基置かれていたそうだ。
内壁が黒ずんでいるのは戦後、火炎放射器で除毒作業が行われたためである。
ここでも歴史の生々しさを垣間見ることができる。
毒ガス工場時代トイレ跡
日本庭園跡?
まずこれが貯蔵庫
正面の階段を上ったところに日本庭園があったようだ。
太鼓橋のような石橋の遺構が残っており、なんとなくだが雰囲気は感じられた。
三軒家毒ガス貯蔵庫跡
10トンタンクを2基格納できる貯蔵庫。
ここでイペリットなる猛毒を保管していたそうだ。
こうして目の前にするとリアリティが全然違う。
クソみたいな落書きに興ざめするが、80年ほど前、確かにこの島では毒ガスが製造されていたのだ。
貯蔵庫の目の前に工場があったそうだが、現在、その場所には「休暇村大久野島」がある。
今やリゾートを満喫したい人たちの受け皿となっているのは皮肉な話だ。
ウサギも絶賛休暇中…
覇気がなさすぎて逆に心配になってくるレベル。
島の南部は小高い山になっていて、そこに芸予要塞時代に造られた「南部照明所跡」がある。
以前はこの先にも道があったようだが今はここで行き止まり。
照明所と言うのは、敵艦を探すために設置されたいわゆるサーチライトのこと。
ここから真っ黒な海を照らしていたのである。
南部照明所跡への道すがら、分岐をまっすぐ行くと灯台がある。
竣工したのは明治26年と、実は芸予要塞よりも早い。
大久野神社。
昭和4年に毒ガス工場が開所した際に、従業員が社殿を修復してこの場所に移転したと案内板には書かれていた。
1985年に建立された、毒ガス製造による犠牲者の慰霊碑。
後年、後遺症に苦しんだ元工員も少なくなく、多くは肺がんなどで命を落としたそうだ。
大久野島の歴史を学びたければ「毒ガス資料館」に足を運ぼう。
と言うか、島に渡ったのであれば迷わず行ってほしい場所だと思う。
こんなところで大久野島の散策は終了。
ウサギたちがこんなにフリーダムだと前もって知ってたら業務スーパーに寄って大量にキャベツ買ってきたのに・・
余談だが、大久野島のウサギはコロナ禍で激減したらしく、先月のニュースで推計500~600羽と出ていた。
人間が来なくなったので山に入ったのでは?という見方もあるようだが何にせよ心配なニュースである。
ラビットアイランド大久野島。
巷ではかわいいウサギたちに会える島と認知されている。それ自体は間違いではないが、毒ガスを製造していた歴史こそ広く知られてほしい史実であり、当時の施設を見学して何かを感じてもらいたい。
実際に足を運んでみて、そう思わずにはいられなかった。
[訪問日:2020年1月4日]
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