貝塚遊郭にまつわる話は情報が乏しく正直わからないことも多いのだが、ひとまず戦後は赤線に移行し、売防法施行前にその歴史に幕を下ろしたということまでは掴んだ。
こういうときこそ、困ったときの『よるの女性街・全国案内版』」と相成るわけであるが、
未亡人クラブが多く、大阪に住む女性が出稼ぎに行く。100名は下るまい。
などと、僅か35文字の超アバウトな解説しか載っていない。なんてこった。
歴史はよくわからずとも、目の前にあるカフェー建築がすべてを物語っているわけで。
それにしても立派な建物である。思わず黄色い声が出そうになる。
赤線建築を愛でる立場からすると、手を加えて大事に使われている姿を見ると本当に嬉しくなる。
あれこれ言う人もいるだろうけど、歴史の「語り部」としていつまでも存在し続ける責務を負っていると個人的には思っている。
ファサードだけだけど。すぐそばに、もう一軒素晴らしい建物。
こういう、豆タイルが設えられてないカフェー建築ってけっこう珍しい気がする。
和を基調として、アクセント的にモダンな要素が取り入れられた建物。注意深く見るとなかなか趣き深い。
料亭深川
こちらの料亭深川さんは、昭和24年完成の建物。公式サイトには、「戦後の物資の少ない時代に2年位の年月をかけ、丁寧に造られたもの」とある。
「看板は開店当時のもの」とあるので、かれこれ65年くらい掲げられていることになろうか。
遊郭との関係はよくわからないけど、料亭があったということは貝塚には芸妓もいたのかもしれない。
勝手口の造りがまた凝っていて思わず唸り声が漏れる。
外観だけでおなかいっぱい。十分目の保養になったので先へ進もう。
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