昔、北前船で栄えた港町でした。今、臨海工業地域です。高砂です。

兵庫県
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レトロ界隈においては銀座商店街と梅ヶ枝湯が知名度を牽引する兵庫県高砂市。
これだけかと思いきや、歴史をほじくり返すと江戸時代には港町としての栄華があり、その名残は今でも随所に見られると言う。

銀座商店街から南東方面へ5分も歩くと、船溜まりのような人工的な入り江がある。

入り江につながる川の名そのままに、界隈は「高砂堀川地区」と言う。
まさに江戸時代、港とまちが築かれたのがこのエリアだったのである。

高砂は加古川が播磨灘に注ぎ込む場所にある。
まずひとつが、加古川の舟運によって物資の集散地として発展したという点。

もうひとつが北前船の寄港地としての顔で、2018年5月に日本遺産の「北前船寄港地・船主集落」に追加認定されている。

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高砂堀川遺構

江戸時代に開削された人口運河、「南堀川」。
このあたりには蔵が立ち並び、大いに賑わった港の中心だった。

発掘調査で当時の雁木と石垣が見つかり、その一部が復元され展示されている。

反対から。ここに雁木があるってことは、ここまでが川だったわけですな。
どうせなら水入れたほうが雰囲気が出るのにと思うのは筆者だけだろうか…。

船着き場の前からまちなみの散策を開始。
のっけから古そうな町家が立ち並んでいて俄然テンションが上がってくる。

その中でも見逃せないのがこちらの「工楽松右衛門(くらくまつえもん)旧宅」。
松右衛門は江戸時代に海運業や港湾改修で活躍した人物で、市が1年4ヶ月かけて修復した江戸後期の屋敷はなんと無料開放されている。

まぁ、あまり時間なかったんでスルーしてしまったのですがね…。
先へ進みませう。

付近を歩くと、古そうな町家だけじゃなく洋風建築もちらほら散見される。

こちらは昭和10(1935)年に建てられた「旧高砂町消防会館」。

そしてまばゆいほどの存在感を放つ「旧高砂銀行(商工会議所)」。
昭和7(1932)年築の、わかりやすい銀行建築。

こちらは昭和55年まで銀行だったそうだ。

工楽松右衛門旧宅のすぐ裏手にある「三連蔵」。
明治前期に米屋の蔵として建てられたもの。

(2ページ目へ続く)

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