この活動を始めてから、早いものでもう7年。
基本的には町並みや商店街。たまに博物館的な施設が題材になることもあるが、昨年あたりから老舗旅館にも興味が出てきた。
これはひとえに旅のスタイルがゆるやかに変化してきたことも影響しているが、兎にも角にも新しい楽しみと旅に出る理由がひとつ増えたことは歓迎すべき事柄である。
で、今日紹介するのは兵庫県の姫路市にある創業1874(明治7)年の老舗温泉旅館、「湯元上山旅館」。
150年の歴史を誇る老舗旅館
姫路と言えば真っ先に思いつくのが「白鷺城」の異名を持つ、世界遺産の姫路城。
グルメで言えば有名な駅そばと、生姜醤油で食べる姫路おでん。
そんな姫路に温泉があるんですよ。知ってました?
ちなみに私は知りませんでした(笑)
と言っても姫路駅から車で北へ走ること30分。
上山旅館のある「塩田温泉」があるのはお隣、福崎町にもほど近い山間部。
ちなみに行ったの2月だったんでね。めちゃくちゃ寒かった。。
なお、建物を見る限りではとてもそんな古い旅館には見えない。
クルマを停めると出迎えたくれたのは、旅館のスタッフと看板猫(?)
ふてくされたような態度からは、カメラ目線など絶対くれてやるかという強い意思が感じられる。
建物へ入ると、ロビーには囲炉裏を囲んでくつろげるスペース。
おぉ。これは会話が弾みそうだ。
さらに、古そうなソファーと骨董品のような電話を発見。
さりげない小物から歴史の長さが滲み出ておる…。
塩田温泉の歴史
温泉の歴史は建物よりも古く、発見されたのは江戸中期。源泉は「塩ヶ谷鉱泉」と呼ばれ、田畑に湧いた温泉で、塩化物を豊富に含んでいたので“塩が湧く田”、そこから転じて塩田になったそうだ。
特に胃腸に効果があると飲用にも積極的に使われて来た歴史があり、実はこの習慣は現在も息づいている。
明治6年、政府が各府県に鉱泉湧出の時代や年月日の調査報告を命じたのをきっかけに、当時村の共有財産だった温泉に施設を整備して温泉地にしようと当時の郡長が村民に呼びかけた。
これに呼応したのが江戸時代から代々温泉の管理を担ってきた上山家で、これによって明治7年に上山旅館が開業した。
名に湯元がつくのは、もちろん上山旅館が塩田温泉の湯元だからである。
旧館への宿泊を所望
この上山旅館。
最初に入ったのが本館。これだけではなく、東館、離れの椿館、さらには明治期の面影を残す見晴館と全部で4棟ある。
実はとてつもなく広い。
このうち、筆者が所望したのはもちろん“明治期の面影を残す見晴館”である。
この見晴館は明治期に建てた旧館を敷地内の高台に移築し、改装した木造2階建て。
広縁からはこんな景色が楽しめた。
続いて館内を散策。
見晴館入口。
建物自体は先述のとおり、移築後に改装されているので比較的新しく感じる。
ただ、随所に明治期を思わせる意匠が散りばめられており目を楽しませてくれる。
こんなんとか。
見晴館廊下。
見晴館階段。
泊まったのが休前日じゃなかったことと、わざわざ一番遠い見晴館を選ぶ人もいないのか、夜は不気味なほど静まり返っていた。
寒すぎて廊下に出るのも億劫だったので、食事して温泉入ったあとは部屋でのんびりと過ごした。
朝は名物の「湯壺がゆ」で始まる
塩田温泉の名物に温泉がゆがある。
先述のとおり源泉が飲泉に使われてきた塩田では、お粥にして食べる習慣があったそうだ。
地元で源泉のことを「湯壺」と呼んだことから「湯壺がゆ」と呼ばれるようになり、上山旅館では今も『朝がゆ』として提供されている。実に江戸時代から続くロングセラー料理なのだ。
で、この湯壺がゆが絶品すぎてもうね・・
朝から幸福感に包まれるとはまさにこのこと。
調味料を一切使わない天然の味なんです。
朝飯食べたら、最後に野天風呂へ。
寒すぎたので夜は内湯だけにして、露天は朝に行こうと決めていた。
野天風呂は東館からアクセスする。
しかし本当に広いな、この旅館…。
東館の二階から外に出ると橋が架かっており、野天風呂はその先にある。
こちらが宿泊者専用の貸切野天風呂。
洗い場もないので、本当に湯あみするだけ。
そう言えば、あまりの寒さで浴槽に保温シートがかけられてたっけ…。
身体が温まったので庭園を散策。
上山家の係累だろうか。戦没者慰霊碑が立っていた。
飲泉所
最後に橋の上から。
せっかく温まったのにすっかり冷えてしまった。
何やってんだろう。。
いかがだったろうか。
兵庫で温泉と言えばもっぱら城崎か有馬。あとはせいぜい湯村。
まさか姫路の山奥にこんな歴史のある温泉地があったなんて露ほども知らなかった。
なお、塩田温泉は“姫路の奥座敷”と呼ばれており、ロケーションを考えたらそれも納得。
人気ある温泉地もいいけど、たまにはこんな静かでのんびりした温泉旅館もいいもんだな~と思いながら帰路についた。
[訪問日:2020年2月]
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