山陰を代表する名湯、『湯村温泉』は兵庫県の最果て、隣はもう鳥取という新温泉町にある。
はて・・この町名、なんて読むのだ?
きっと初見では誰も読めないような浮世離れした読み方をするに違いない。
以前行った温泉津だってそうだった。
答えにかすりもしないような解しか出せず、あの夏、島根の片隅で己の無力さに打ちひしがれむせび泣いた。
自分だって成長したのだ。
あの忌まわしき記憶を糧に、今度は入念な考察を行い、渾身のアンサーをひねり出した。
あらゆ、あらのゆ、にいゆ・・
これは、、だいぶいい線行ってるんじゃないのか?
フルスイングからの確信歩きを踏み出すような面持ちで、ぐーぐる先生に問うてみた。
すると返ってきた答えはこうだった。
しんおんせんちょう
・・それは世界で最も美しい軌道を描いたブーメランだった。
スタンドインするはずの打球は、フェンスのはるか手前で失速して右翼手がガッチリ掴んでいた。
それはまさに、悪夢に等しい光景だった。。
絶望感に苛まれながら、その直球ど真ん中な読み方を何度も頭の中で反芻した。
しんおんせんちょう・・
しんおんせんちょう・・
しんおんせんちょう・・
今日はそんな新温泉町、「湯村温泉」の話をしたい。
温泉に目がない筆者が、長い間虎視眈々と行く機会を狙っていた湯村温泉にようやく訪問が叶ったのはちょうど昨年の今頃だった。
なんせ町の名前に温泉を冠しているほどなのだ。湯には並々ならぬ自信があるのだろう。
なお、湯村から少し北へ行ったところにこれまた有名な「浜坂温泉」を擁する浜坂温泉郷がある。
このあたりは何と言っても冬には日本有数の水揚げ量を誇る松葉ガニの産地である。
言わば、温泉と観光なくしてまちが成り立たないと言っても過言ではないエリアなわけである。
湯村は日本屈指の高熱温泉です
町並みを歩く前に、温泉を紹介しよう。
湯村温泉は今からおよそ1150年前、慈覚大師によって開湯されたと伝えられている。
いわゆる元湯にあたる「荒湯」は毎分470リットルという豊富な湧出量を誇るが、すごいのは源泉の温度。
なんと日本一高い98℃の湯がこんこんと湧き出ているのである。
それも掘削ではなく自噴で、この湯量は昔からまったく衰えを見せていないのだそうだ。
しかも成分に重曹を含むため、野菜や豆腐を湯がくとまろやかな味わいに変化するそうで昔から料理に重宝されてきたと言う。
もちろん温泉卵もお手の物。近所のみやげ屋で生卵を販売しているので手土産にちょうどいい。
荒湯の前には足湯がある。
川を眺めながらの足湯。開放的な気分に浸れる至福のとき。
オススメは夕食後、夕涼みがてら浴衣で来るのがよいと思う。
荒湯から見て川の反対側にある「夢千代像」。
普通に知っている方も多いと思うが、これについてはまた後ほど。
温泉街をぶらぶら歩こう
温泉ツウをも唸らせるという本物の温泉が湧く湯村温泉。
歴史ある古湯であれば、温泉街だってきっと古くて渋い町並みが残っている。いや、そうでなくては困るのだ。
という訳で、早速まちへとくり出した。
何度か角を曲がったところで期待通りの町並みが顔を出した。
貞観17(875)年創建の薬師堂。
慈覚大師を慕い、薬師如来像を安置したのが始まりだそうだ。
山に囲まれた湯村の温泉街は、真ん中を川が流れ、適度に鄙びた風情を醸し、まさに理想的な“いで湯の里”と言った雰囲気だった。
広さ的にも端から端まで1kmぐらいだろうか。コンパクトにまとまっていて丁度いい。
どこかの路地で見かけたこの建物の前で、はた、と足が止まった。
玄関先に目を凝らす。
やはりそうだった…。
思いがけないところでコレを見つけると急激にテンションがあがる。
これは業界人の常である。
荒湯の北側、天神通りを歩いていたら妙な看板が立っていてまたも足が止まった。
あれはなんだ…
いや、これはさすがに草生えるわww
そもそも新温泉までの道のりがありえないほど遠かったことに加え、チェックインしてから散策を始めたのですでに夕刻、18時を回っていた。
東日本だともう暗くてまち歩きができない時分だろう。
今日はこれぐらいにしておくか。
2008年に建設された公共浴場の「薬師湯」。
ここにはかつて町役場の庁舎があったそうだ。
実は新温泉町は、平成の大合併で「浜坂町」と「温泉町」が合併して誕生した町なのである。
なるほど、浜坂温泉は元々別の町だったのだ。で、ここは元“温泉町”。
町名にしてしまうほど、湯村温泉は町のアイデンティティそのものだったと。
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