門前町のち宿場町。加西市北条町の町並みに繁栄の歴史を見た

兵庫県
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兵庫県の加西市をご存知だろうか。
鉄道が好きな人であれば楽勝、そうでなければ関西人ぐらいにしか馴染みがないかもしれない。

だいたい東西で見ると県の中央あたり、姫路や加古川に隣接するやや内陸寄りにあるまちである。

ほぼ加西市内を走るローカル線「北条鉄道」がまずまず有名ではあるが、全国区だと紹介に困る、特筆すべき名所や名産に乏しい播磨地方の一都市、というポジションである。

一応、観光名所としてよく挙げられるのがこちらの「五百羅漢」
※江戸時代初期に造られたと言われている謎の石仏群

2010年10月撮影

古い写真で申し訳ない…。

あとは、市街地からほど近い「ランドマーク展望台」

加西市街地を一望

このあたりが有名である。

(北条鉄道は一度乗ったことがあるはずなのに写真が残ってなかった…)

そんな加西に、割と見応えある古い町並みが残っていると知って実に10年ぶりにやって来た。

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門前町から始まった北条地区

北条鉄道の終点、北条町駅がある「北条町」は現在加西市の中心となるまちである。

住吉神社

駅から少し北へ離れたところに奈良時代に建立された住吉神社と酒見寺(さがみじ)があるが、元々はこれら社寺の門前町として形成された歴史を持っている。

酒見寺のカラフルな鐘楼

戦国時代には、酒見寺にもほど近い小谷城の城主、赤松氏が市場(六斎市)を開いたことから市場町として繁盛したが、戦乱の影響で荒廃してしまったそうだ。

江戸時代、京都と出雲をつなぐ旧丹波街道(旧但馬街道)、また南北の旧姫路街道が集まる交通の要衝であったことから宿場町(北条の宿)としても賑わいを見せるようになり、特に”徳川御三卿”の田安家が陣屋を設けてからは在郷町としても栄え、文字通り北条は北播磨の中心的存在であった。

今、伝統的な町並みは3つのエリアに分かれるようだ。

酒見寺があるエリア「寺町ゾーン」、酒見寺の南側、旧街道筋の「商家の家並み」、そして横尾街道沿いにある「旧家の家並み」

このうち、最も当時の面影を残すのが横尾街道沿いでこの日はここを歩いた。

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旧家の家並み

横尾街道というのは旧丹波街道のことで、場所の説明がちょっと難しい。
北条町駅から北へ10分強歩いたあたりで、酒見寺から見ると東側にあたる。

「福吉町(ふくよしちょう)」の看板が立つ十字路から東へ歩き出すと、すぐに古い町家がぽつぽつと現れ始める。

地名の上では福吉、栗田、横尾と続いて行く。
横尾街道というのは現在の地名から付けられた名のようだ。

栗田大日堂

少し歩くと左手に「大日堂」があった。

案内板によると、戦国時代に荒廃した住吉神社や酒見寺が姫路城主の援助を得て再建された江戸時代初期。その同時期に建立されたものだそうだ。

 

交差点を渡ると、いよいよ“旧家の家並み”然とした町並みが登場する。

北条町にこうして古い町並みが残ってるのは他でもなく、明治時代に敷設された山陽本線が海側を通るようになったことで宿場町としては完全に役目を終え、衰退していったことがその理由である。

旧街道はまるでここが暗渠であることを示唆するかのような緩やかな蛇行を繰り返しながら伸びていく。

道沿いには平入りの町家が非連続的に立ち並ぶ。
厨子二階の塗籠造りで虫籠窓を設えた江戸~明治スタイルが多い。

(2ページ目へ続く)

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